Kumiko Report 4/18/2006
名古屋で一日フル回転

17日月曜日、朝6時に起きて名古屋へ向かい、一日フル回転でした。

1、12時。8月12日の「愛知にんげんをかえせメッセージライブ」の照明をしていただく稲垣清行さんと打ち合わせ。彼は、千種文化小劇場を何度も使っているので、打ち合わせはスムーズで私は大船に乗った気持ち。

2、12時半。名古屋地裁近くの小公園で「原爆症認定訴訟勝利へ」の集会に参加し、その後、地裁までピースコールをしながら名古屋地裁大法廷へ向ってデモ。今回の主要な目的は、8月12日のメッセージライブで証言をしていただく中村昭子(てるこ)さんの本人尋問が今回あると聞いたから。大法廷はいっぱいだった。

3、1時15分から4時すぎまで3時間。長崎で被爆された中村さん、広島で被爆された森敏夫さんのお話。これはもう凄かった。森さんは軍人として被爆し、その後2ヶ月間も軍の命令で、ズタズタになった広島市の通信網を回復する架線工事などをされていたそうだ。だからジゴク、ジゴクの光景をたくさん見て、何十年経っても、広島駅に降り立つと「死臭」がすると言われる。

79歳の中村さんの話も、涙ナシには聞けない。被爆の状況とその後の人生。弁論の最後に、弁護士が「今、国に対して言うことはありますか?」と尋ねた。中村さんは、はっきりした大きな声で「8月6日と9日に落ちた二つの原爆は、お手手つないで、アメリカから自分で歩いてきたのですか。原爆による私の人生の不幸も天災だったら許します。でも、人災だったらどうしても許せません!国は人災だったことを認めて、私の病気を原爆症とと認めてください。お願いします。」 そして、裁判長と国側の代理人と原告代理人に3回深ぶかと頭を下げられました。

お二人の後、今回から裁判長が変わったということで、今までの裁判の内容や結果を樽井弁護士が「更新弁論」された。これがヨカッタ!樽井弁護士自身の幼い頃からの「ゲンバク」についての認識から始まって、弁護士として、この裁判にかかわった一人の人間としての想いが明快に伝わってきた。原爆症認定裁判を傍聴していつも感動するのは、原告の弁論や献身的な支援者はもちろん「日本にはなんて素晴らしい弁護士がいるのだろう!」ということです。

4、その後、場所を移して「桜華会館」で報告集会。その途中、中村さんと記念写真。松本弁護士、樽井弁護士なども一緒に。報告会では、私も数分発言。司会者が8月12日のことも宣伝して下さった。





5、6時から松本、樽井弁護士の名古屋法律事務所をお借りして「愛知にんげんをかえせコンサート」実行委員会。コーディネーターは、前回35周年のときにもお世話になった西村さん。嬉しいことに、私の中学時代の同級生で「緑はらからの会」の阪野智夫さんや、兼松友子さん、岐阜からカメラマンの有田登志彦さんなど、いつも私を応援してくださる方々が一足先に来てくださって、いろいろ話ができた。そして、ヒバクシャの団体「愛友会」、新日本婦人の会愛知県本部の水野磯子会長などなど11名も集まってくださって、「成功させましょう」と嬉しい話し合いになりました。

6、さて、終了後、その足で東京へと思ったのですが、大好きな居酒屋「エミちゃん」に誘われ、お昼からチャンと食べていなかったし、ついフラフラと誘われて、楽しい会話と美味しいご馳走をいただきました。ハートもお腹もいっぱいになり、慌てて最終の新幹線へ。自宅には、午前1時近くの帰宅でしたが、大満足のフル回転の一日でした。

横井久美子
2006年4月18日

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