Kumiko Report 4/30/2006
ベトナムのリエンさん

昨日は、ライブハウス「Back in Town」でコンサート。いつもの安田さんのギター、杉田さんのバイオリンに加え、新しくパーカッションの木村啓太郎さんが参加し、素晴らしくいい雰囲気のコンサートでした。新曲を含め、22曲歌いましたが、その新曲も評判がよくて嬉しかったです。

明日からベトナムへ行きます。福山市の中川恵子さんがたくさん車椅子を集めてくださって、それを平和村に届けます。また、昨年11月20日によみうりホールのメッセージライブで皆さんからいただいたカンパを「枯葉剤被害者の会」へ届けます。もちろん世界遺産のハロン湾など、観光もいっぱい予定しています。毎年しているツアー&コンサートも4回目になりましたが、ベトナムへ出かける前、素晴らしいドラマチックな話が飛び込んできました。

昨年、「フレンドリーベトナム」という企画で茨城大学の伊藤哲司先生が講演され、お会いしました。その伊藤先生から次のようなメールを頂いたのです。
ご了解を頂いて、掲載します。今回、リエンさんとベトナムでは会えませんが、このドラマの展開はまたお知らせします。それでは、皆さん!しばらく日本を留守にしまーーーす!

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横井久美子様
初めてメールをお送り
します。昨年、中村梧郎さんと一緒に東京でベトナムについて講演させていただいた伊藤哲司と申します(茨城大学で社会心理学を担当している教員です)。講演終了後に声をかけてくださいましたが、覚えていらっしゃいますか。「ベトナムの不思議な魅力」について話をさせていただいた者です。その後もご活躍の様子だということをHPで拝見しました。

ところでぜひお伝えしたい話があります。拙著『ベトナム 不思議な魅力の人々』(北大路書房)の中でも紹介した私の友人にリエンさんというフエの女性がいます(彼女については先の講演の中でも話をさせていただきました)。彼女は歩けないというハンディを持ちながらも、ほとんど独学で覚えた日本語を自宅で教えています。つい最近になって、彼女がなぜ日本に興味を持ち日本語を勉強し始めたのかということがわかりました。

彼女は子ども時代をハノイで過ごしたのですが、1974年あたりにそこで「戦車は動かない」という歌をそこで聴いたというのです。当時彼女は日本語がまったくわからず、でもその意味を知って、強く心を打たれたというのです。まさそれが、彼女が日本語を学び始めるきっかけでした。私は失礼ながらその歌を知らなかったのですが、横井さんの歌だということを最近HPで知ってリエンさんに教えました。横井さんが現在でもご活躍だということを知り、彼女はいたく感激してくれました。

いま彼女は、日本に留学をしたいと考えており、私は普段は大学にいるものですから、何とか実現させられないだろうかと、彼女の教え子で日本に留学に来ている学生などと一緒に画策をしはじめているところです。まだ見通しが立っていませんが、もし日本に来られたら(彼女自身、短期での来日は2〜3回あります)、ぜひ横井さんにお会いしたいと話しています。

歌というのはこんな力があるのですね。私も感激しました。
以下が彼女から私に宛てたメールです。ぜひ読んでみてください。 
伊藤哲司

> 戦車は動けない
>
> 1.戦車は動けない
>   このまちの橋をわたって
>   銃口をベトナムに
>   子どもらをねらいうつ
>   戦争は通さない
>   戦車は動けない
>
> この歌です!この歌ですよ、伊藤さん!
> 私は伊藤さんのメールを読みながら、泣いています。
> 伊藤さんにいっぱいいっぱい言いたい事がありますけど、私の心から気持ちを言葉に
> 言えません。本当にベトナム語で伊藤さんに書きたいです。私の日本語はこんな気持
> ちを表現できないと思いますから。
> 子供ころに、私はもう歩けなくて、出かけられませんでしたから、学校が終わってか
> ら拡声機(ラジオじゃなくて、あの時はお金持ち家族だけラジオを持ちました)は私
> の唯一の親友でした。私はいつも勉強したり、家事をしたりしながら、拡声機を聞き
> ました。あの拡声機のおかげで、国と世界のニュースが分かって、音楽も聞こえまし
> た。
> あの時は1974年ぐらいで、ベトナムの南で戦争がとてもひどいころでした。私は
> 拡声機にある日本人の歌手がハノイに来て、反戦の歌を歌っているということと言わ
> れました。ひとつ歌は「戦車は動けない」で、アメリカ軍隊が戦車を日本の沖縄にい
> るアメリカ軍の基地からベトナムに持って来て、子供と無罪人を殺さないでという意
> 味でした。
> あの時、私はぜんぜん日本語が分かりませんでしたけど、意味を教えてもらって、音
> 楽を聞いて、特別にあの歌手ががギターを弾きながら歌うのがとてもとてもすばらし
> くて、大好きでした。ですから、あの歌を歌って繰り返して、だんだん覚えました。
> それ以来、あの歌を自分で分かるように、私はいつも日本語を理解することができる
> のを願っています。
> 時間がたって、私の人生ではじめての日本人学生に出会えました。彼は菊池正さんで
> す。あの時彼も初めてフェに来ました。今菊池さんはケイオ大学の教師です。私たち
> は千葉で会えました、伊藤さんはまだ覚えますか。菊池さんは私がまだ覚えている言
> 葉を翻訳して教えてくれました。あれから、菊池さんのおかげで、他の日本人の友達
> ができて、日本語の勉強が始まりました。
> 伊藤さん知っていますか、, 私もギターを弾くことと歌うことが大好きです。いつで
> も「あの歌を知っていますか?あの歌手はまだ生きていますか?」と日本から来た、
> 特別に沖縄から来た友達に聞いています。でも今日の人たちはもうあまりあの歌につ
> いて覚えていないそうです。みんな大体「知らないね。。。」と答えていましたか
> ら。
> しかし、こんなすばらしいこと。。。伊藤さんのおかげで、私の子供ころの記念する
> 事が起きました。伊藤さんのおかげで、横井久美子歌手がまだ日本で活躍している事
> が分かりました。
> 奇跡が起きているのを信じています。本当に、いつか あの歌手に会うことを祈って
> います。あの歌手に会ったことは一度もありませんですけど、心から印像がいっぱい
> あります。
> 私は感動しすぎて、返事を早くできなかった、どうもすみませんね。
> 言葉にいえませんけど、伊藤さんは私にこんな素敵な幸せをくれて、感謝をしたいで
> す。どうもありがとうございます。。。
> お返事を待っております。
> チャンーフオンーリエンより

横井久美子
2006年4月30日

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