Kumiko Report 6/1/2006 |
原爆の火の前で歌う 2ヶ月前、「原爆の火の前で『にんげんをかえせ』を歌って下さい」という呼びかけを豊橋市の「原爆の火を灯し続ける会」からいただいた。5月31日、原爆の火を世界で唯一、学校の中で灯している豊橋市の桜丘学園で「2006あいち平和行進を励ます桜丘学園の集い」が行われ、その「平和の塔」の前で歌いました。 「灯し続ける会」の鈴木さんのくるまで豊橋駅から桜丘高校に着くと、校長室へ。校長先生はじめ何人かの先生が、「若い頃みんなで『青春』を歌って踊りましたよ」といわれ、ビックリ。原爆の火があるということで吉永小百合さんもこの学校を訪れ、朗読をされたそうです。「平和の塔」の出来たいきさつなどを先生に伺い、その後、韓国で従軍慰安婦と交流している平和同好会の学生やブラスバンド部の代表数人、「灯し続ける会」の方達、先生と懇談しました。 久しぶりに高校に行って、私はスゴーーク感動しました。廊下で会う生徒は、みんな「こんにちは!」と声をかけてくれる。その高校生達が門に並んで、静岡からきた平和行進を素晴らしいブラスバンドの演奏で出迎えてくれまた。5時からはじまった平和行進を励ます集いは、校庭の中につくられた野外劇場風のスペースで行われました。挨拶は、教職員組合の先生、校長先生、「灯し続ける会」、生徒会長、通し行進者の方達。それぞれが簡潔でとてもさわやか。そのなかで、高校生たちの太鼓の演奏。夕日になりかけのこの半円形の校庭に思いもよらないゆったりとした時間が流れ、とてもいい気持ち。 「平和の塔」は、1988年第3回国連軍縮特別総会成功に向けて、福岡県星野村の山本達雄さんが保持していた「原爆の火」をリレーして国連に運んだことがきっかけで、1989年10月「100円玉で平和」と、地域の方たちや教職員の力でできたということです。 こうした地域と学校の先生とそして生徒と一体になって「原爆の火を灯し続けている」豊橋市という町の市民意識の高さを私は、再認識させられました。東京都の「日の丸君が代起立裁判」「声量調査」など教育現場の唖然とする酷さを見聞きしている私にとって、桜丘高校の先生や生徒の自由で解放的な雰囲気に「学校というのはこうでなくっちゃ」と元気を貰いました。 私にとって「平和行進」の中で歌うという体験は、初めてのことでしたが、「原爆の火の前で歌ってください」という呼びかけを頂いたおかげで、素晴らしい出会いと体験をすることができ、とても充実した気持ちで東京へ帰りました。明日からは、岡山へでかけます。 横井久美子 2006年6月1日 |
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