Kumiko Report 01/16/2007
No2チり到着

成田から32時間かかって1月4日、私たちは、チリの首都サンチャゴに到着。輝くような太陽が私たちを迎えてくれました。

早速、中央市場にあるシーフー
ドのレストランで昼食。
「ピスコサワ」というぶどうの焼
酎にレモンと砂糖をいれた甘く
て飲みやすい食前酒が出た。
滞在中の食事前にはかならず
出た40度のピスコサワ、油断大敵のお酒です。
ご機嫌になっていると、日本で
いう「流し」の二人連れがきてラ
テンのリズムで2,3曲歌ってく
れたあと、どうも耳慣れた曲が
聞こえてきました。なんとビオレ
ータ・パラの「人生よありがとう」
でした。

今回チリに行こう!と思ったのは、昨年1月、チリに初めて女性大統領(ミッチェル・バチェレ)が誕生し、その就任演説を読んだからです。バチェレ大統領は、拷問で死んだ父の命日でもある12日に「過去は決して忘れてはならない。過去の過ちを繰り返すことなく、より公正で平等な明日を築きましょう」と呼びかけた。このニュースを聞き、チリに行ってみたいという思いがフツフツと起こってきたのです。

また、「新しい歌運動」に道を開
き、私の愛して止まないビオレ
ータ・パラの国チリ。「おいで一
緒」にの世界的詩人パブロ・ネ
ルーダの国チリ。中南米を代表
する音楽家「アマンダの思い出」のビクトル・ハラの国チリ。
人民連合の歌「ベンセレーモス」を日本語訳にして1974年、九段会館でアジェンデ夫人や次女のイザベルさんを迎えた私です。この際絶対一人でもチリに行こう!と決めたのです。そして、到着したその日、ビオレータ・パラの歌が聞こえてくるとは、、、。

私は、ピスコサワにノックダウンされていたのですが、歌わずにはいられなくて突然ギターを借りて日本語で「人生よありがとう」を歌いました。そして、酔った勢いで同じくパラの「何という胸の痛みだろうか」まで皆で歌ったのです。「流し」の二人はこの歌も知っていました。



ビオレッタ・パラの歌は、こうした「流し」の人たちのレパートリーになるほど、有名で愛されているんだと嬉しくてナットク。そして、「ベンセレーモス」を知っているか訊ねると、「知っているけれど、私たちが歌う歌ではありません」という返事。この理由は、その後、サンチャゴに滞在する中でだんだん分かったきました。

市場の中は色とりどりの野菜や果物でいっぱい。日本と同じような野菜や果物でもパックされていないだけでとても新鮮に見える。
←中央市場の入り口

参加した27名の半分くらいは、私の歌をすぐ歌える方々ではないようでしたが、ナント、到着早々、練習もせず皆さん歌うハメになってしました。午後は、ビクトル・ハラ財団へ行きました。(続く)

横井久美子
2007年1月16日     

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