Kumiko Report 01/23/2007
No6パブロ・ネルーダ


1月6日、この日私たちは、まずサンチャゴ市内から2時間半程バスに乗り、ビーニャ・デル・マルにあるアジェンデのお墓に行きました。でも、ここにはアジェンデの遺体はありません。

アジェンデの遺体は、サンチャゴから遠くはなれたこの共同墓地に埋められ、17年間ここにひっそり眠っていました。1990年民政移管後、サンチャゴの中央墓地に移されたのです。


首都サンチャゴには国会がありません。アジェンデのお墓の後、国会がおかれているバル・パライソを見学しました。


そして昼食後、イスラ・ネグラ(黒い海という意味)にあるパブロ・ネルーダの家に行きました。パブロ・ネルーダは1971年ノーベル文学賞を受けたチリを代表する世界的な詩人。人民連合のフランス大使を務め、癌を患い1972年に帰国しましたが、軍部の監視下におかれ、この海の別荘もサンチャゴの家も何度も家宅捜索を受け、クーデターの混乱の中、1973年9月24日、69歳の生涯を終えました。



ネルーダは、海が大好きだったそうですが、このイスラ・ネグラにある収集品には驚きました。偉大な詩人、芸術家というのは、自分の好きなものにこれほどこだわりを持つものなのかと感嘆!室内の写真は禁じられたのですが、室内から外は撮ってもいいということでした。


ネルーダの寝室から撮った写真です。ベットから寝ていてすぐ海が見えます。私の一番気に入ったのはこの海の見える寝室でした。



「今まで、ノーベル賞の受賞者が都市のスラムや貧民街でお祝いされたことはほとんどなかった。だが、パブロ・ネルーダが文学賞の桂冠に輝いた時のチリがそうだった。彼は、1972年11月末、最後の帰国をした。12月5日国立競技場で、チリの民衆が大騒ぎを引き起こした歓迎を受けるために。
ビクトル・ハラが総指揮をとったこのイベントのため、働く人々は国中のすべての州から、考えられる限りの技能と職業の代表として
やってきたのだ。タラパカ砂漠からやってきた硝石労働者、アントファガスタの銅山労働者、コキンボの採石工、バルパライソの商船乗組員、アンコカグアの鉄道労働者、サンチャゴの建築労働者、クリコの酒づくり、コンセプシオンの織物工、チロエ島の漁師、オソルノの酪農夫、アイセンの羊飼い、そして極南のマガヤネスの石油労働者。
(略)ネルーダ自身が言ったように『国家的な賞やノーベル賞さえもらった詩人はたくさんいる。だがおそらく、こんな素晴らしい賞をもらった詩人はいないだろう。全国の、全人民の代表が与えてくれたこのような祝典の王冠を』と。」(「終わりなき歌」ジョーン・ハラ/矢沢寛訳/新日本出版社))

腹黒い奴ら
              パブロ・ネルーダ (1973・9・15 絶筆)
ニクソンとフレイとピノチェットめ
ボルダベリとガラスタソとバンセルども
今日この1973年9月のなんという酷たらしさ
おお貧欲なハイエナども
多くの血と火でかちとった旗をかじりとるネズミども
大農場でたらふく満腹している奴ら
極悪な奪略者ども
千回も身を売った腹黒い奴ら
ニューヨークの狼どもにけしかけられた裏切り者ども
わが人民の汗と涙を絞り取り
わが人民の血で汚れた機械ども
アメリカのパンと空気を売り込む売春屋ども
淫売宿のボスどもペテン師ども
人民を拷問にかけむちうち
飢えさせる法律だけしかもたぬ死刑執行人ども!
 「ネルーダ最後の詩集」(大島博光訳/新日本出版社)

「ビクトルのわびしい葬式のわずか数日後、私はパブロ・ネルーダの葬儀は9月25日と告知された。それに参列するのは大事なことであった。多くの人たちは、共産主義詩人として公然と敬意を払う態度をとったら、マークされるか逮捕されるかもしれない思ってはいたが。
(略)墓地に向って裏通りを歩いていたとき、私は群集の中でネルーダの詩を次から次に、一人が一行づつ暗誦していくのを聞いた。まわりにいる制服の脅しなど物ともしなかった。私はビルの建築現場の労働者たちが頭上の足場の上で、黄色いヘルメットを脱いで黙礼を送っているのを見た。他の労働者たちは、兵隊たちが私たちの両脇を固めている歩道に並んだ。『私といっしょに立ち上がれ、兄弟たちよ』や『街に流された血を見に来てごらん、、、』というネルーダの詩句は、声から声へと引きつがれ、ファシズムの生きた顔を目の前にして一層、深い意味をおびていた。歩くにつれて、私は独りぼっちでないことが分かった。さらにまた、これがビクトルの、そしてまた軍隊に虐殺され、その大半は無名のまま共同墓地に放り込まれたすべての同志たちの葬式なのだと分かった。だが、行列が共同墓地正面前の円堂で終わりに近づいたとき、数台の装甲車をつれた軍の護衛隊が反対側から私たちを取り囲み、不気味に迫ってきた。群衆は『同志パブロ・ネルーダは永遠だ!』『同志サルバドル・アジェンデは永遠だ!』『同志ビクトル・ハラは永遠だ!』と叫んで応酬した。そしてそれが突如として『インターナショナル』に変っていった。初めはバラバラで、おずおずしていたが、次第に威勢よくなり全員歌い始めた。それがチリでの、人民連合の最後の公然としたデモンストレーションであり、ファシスト政権にたいする最初の公然としたデモンストレーションであった。」(「終わりなき歌」ジョーン・ハラ/矢沢寛訳/新日本出版社))


ネルーダと角銅弁護士の体型がよく似ているので向かい合っていただいてパチリ!ともかく、偉大な詩人がこよなく愛したイスラ・ネグラで膨大なコレクションを見ることができた素晴らしい一日でした。

横井久美子
2007年1月23日     

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