Kumiko Report 01/26/2007
No8ベネズエラへ

1月8日、5時半に起き、サンチャゴのアルトゥーロ・メリノ・ベニーテス空港から6時間45分。ラン・チリ航空に乗ってベネズエラのシモン・ボリーバル空港へ。

到着して迎えのバスに乗ってビックリ。オンボロのバスの窓にはすべて緑色のカーテンが引かれている。熱いので冷房の効率を考えているのか?とは思ったけれど、、、、まるで護送車のよう。カーテンをチョコット開けて走っている車を見るとやはりかなり旧式。そして、フと思った。まさかこのカーテンは金持ち日本人の観光客を見られないように隠すためデハ!ソシテ目に入ってきたのは、山にへばりつくように建てられているバリオと呼ばれる貧困層の家々。



それに何ということか!日本女性のガイドさんが風邪でダウン。迎えに来てくれた英語の分かる旅行会社の人は、自分の車に乗って勝手にホテルに向ってしまった。バスの冷房が寒いということをスペイン語ができない私たちは、ボディランゲッジで伝える始末。道の脇はところどころゴミが積まれ異様な臭いがする。バスの運転手は10代の男の子を連れ、その少年が見たいビデオを勝手に写して見ている。後で分かったことだけれど、空港から首都カラカス市内までの橋が最近壊れ、45分位の道のりが2時間もかかった。それもノロノロ運転のため、バスのギア?が壊れているとかで、発進、停車のたびガクン、ガクン。ホテルに着く頃にはバス酔いの人が数人出る始末。「これはトンデモナイところに来てしまったゾ!」というのが私のベネズエラの第一印象でした。


そしてやっとたどり着いたヒルトンホテル。ヤレヤレと思いきや、現地の旅行社がやってくれるべき手続きがしてなくて問題山積み。添乗員の原沢さんがたった一人で奮闘しているところへ、自分の車で先に出た旅行社の人が「Everything OK? だったら家に帰るけど、、」とウインクしながら私に言うので「OKじゃない!まだ、チェックインできてない!」。こりゃダメだ、当然といえば当然かもしれないが、ベネズエラはまだまだ観光途上国。風邪でダウンしたガイドさんの代わりも、紹介していただいた方に原沢さんが電話でお願いする始末。ナンダナンダここは!せっかく南米まで行くなら、今、世界の注目の的の国ベネズエラに行ってみよう!とやって来たけれど、トンデモナイ国にみんなを連れて来てしまった!と思ったベネズエラ第一日目でした。


しかし、 翌朝、更にびっくりしたことは、1821年、スペインからの独立を果たした建国の英雄シモン・ボリーバルの生家や市役所や国会などの市内観光に「ツーリストポリス」(写真左上)が6人もついたこと。リュックはかならず前に抱いて、カメラはバックにしまってなど注意された。そして、明らかにスリと分かる男の人にボリーバルの生家で付きまとわれ、私たちは合図し合い、連携プレーで被害を防いだ。すごーくスリリングな見学だった。やっぱりここは、外務省の危険地域指定の国だったのだ。


私たちは、チリ滞在中にチャベス大統領の就任式が、1月10日に決まったことを知り、歴史的な日にベネズエラにいられることを喜んだ。キューバのテレビ局なども取材にきていて話した。右上は国会、その国会のまわりのチャベス大統領の若い護衛兵士たち。明日の就任式の練習もしていた。「あぁ、今ベネズエラに来ているんだ!」とスリリングな中なんだかワクワクしてきた私でした。



国会の入り口の上に掛けられたクリスマスツリー(あと数日で撤去するそうだ)。ギターとハープとマラカスが飾られている。国会前の街路樹にはリスがたくさん動きまわっていた。


カラカス市内の主要な建物はスペインの影響が見られとてもステキ。市役所も豪華で入り口には、チャベス大統領の写真もあったが、1階の展示室には、カラカスの街の歴史的な写真などが飾ってあって見ごたえがあった。


夕食前、ホテルでベネズエラ国際連帯委員会の方々と交流会。連帯委員会の代表のカレーラスさんはじめ6人が参加して下さった。私は、昨年の4月に来日されたフィリッペさんとも再会。カレーラスさんから現在のベネズエラの状況を話していただいた。日本からは角銅先生にご挨拶をお願いした。日本の参加者から「ベネズエラの皆さんは日本の我々に何を望みますか?」という質問に、「どうぞ、アメリカにベネズエラのことはこれ以上干渉するな!という声を世界中からあげてください」といわれました。最後に私たちは、お礼に「おいで一緒に」をスペイン語を交えて歌いとても有意義な交流を終えました。その後夕食をご一緒してさらに交流しました。84才のカレーラスさんは世界各地に行かれていて、私が「ソング&エッセイ」に載っているピート・シーガーやニカラグアの音楽家で元文化大臣のカルロス・メヒア・ゴドイやチェコの歌手マルタ・クビジョワとの写真を見せすると、良くご存知で、また、パブロ・ネルーダとも会ったことがあるとも言われ、話が弾みました。


終了後、私は4グループの班長さんに集まっていただいて、この国のツーリズムの置かれている状況を話し、私たちは「スタディツアー」にきているようなものだと思って気を引き締め、助け合って事故のないように、マイナスをプラスに転化させましょうと話し合いました。このミーティングがこのあとのツアーを成功に導く大きなきっかけになり、その後、とても楽しい旅を続けることができたのです。明日は、大感動!涙、涙の「サンミジャン」です。

横井久美子
2007年1月26日     

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