Kumiko Report 9/Jun/2016
感動!函館・八雲ツアー

6月日 佐藤美津雄 追悼音楽会

6月3日、故佐藤美津雄さんの一周忌の追悼音楽会に参加するため函館空港に着いた。そこで、北九州から到着した藤島さんと一緒になり、落語家の東家夢助師匠が出迎えてくれた。夢助さんとは40年ぶりくらいの再会になる。

ホテルについたら、封筒とお花がテーブルの上に。

開けたら、

横井久美子様 
-美しい人間が美しい音楽をつくるー
ようこそ函館へ


と書いてあった。

もうこれでグッとくる。
しゃれたことをするね!

「美しい人間が美しい音楽をつくる。美しい音楽が美しい人間をつくる」は、函館労音の、そして、事務j局長の佐藤美津雄さんのあい言葉だ。



夕食は、五稜郭タワーの中にある料理店で高石友也さん、マネー^ジャーの中田さん、夢助さん、今回の実行委員長で元函館労音事務局の広瀬さん、そして、横井の函館での35周年記念コンサートの実行委員長をして下さった広瀬さんの奥さんの貞子さん。

いろんな話をした。私は、1969年、芸能界をやめて函館労音で歌手としてのデビューをした。佐藤事務局長は横井の育ての親と言っていい。

高石さんは、すでにフォークシンガーの旗手として世に知られていたが、いろんな出来事があって、もうやめたいとアメリカに渡ろうとしていた。そのとき、佐藤さんが、「帰ってこい!帰ってきたら函館からコンサートをはじめよう!」と言ってくれたことが再起への力となったそうだ。

飲んで食べて喋って(主に高石さん)大いに盛り上がった。楽しかった!生きたヤリイカを見せてもらってからそれをお刺身にして食べた。サイコウー!



翌日4日、函館芸術ホールのリハーサル室ではじまった追悼音楽会は、東家夢助師匠が司会をし、日本各地から佐藤さんに育てられた民族歌舞団が演奏し、そして労音関係者たちも参加した。

花いかだ(矢臼別)
花こま(姫路市)
帯広民族芸能の会(帯広)
ゆいの会(所沢市)
花しょうぶ(東京)

そのあと、横井が1969年3月、青函連絡船にのって函館に着き、すぐ函館ドックの職場サークルに連れて行かれたこと。お昼休みでテレビを見ながら弁当を食べて、背を向けている場で歌い、どんな場所でも、誠実に歌えば、必ず、聞き手は応えてくれることを知ったこと。保育専門学校でのコンサートに学校側が貸してくれなくて、電柱の灯りの中で歌ったこと。この最初の17日間で受けたカルチャーショックにも似た感動が、その後の自分をつくっていったことを話しながら、5曲歌った。
♪面会のうた
♪飯場女のうた
♪自転車ののって
♪赤いつばきと青いげんぼし
♪風のなかのレクイエム

函館の17日j間は、働く者たちの力になる音楽家、人々の役に立つ音楽家にならなくてはいけないことを教えられた。そして、24歳だった私はその後も函館労音に呼ばれて佐藤さんに労音の仲間たち鍛えられた。そんな話も歌いながらした。

札幌から塚本さん、そして病気をおして松本さんが参加して下さって一番前で声援を送って下さった。

さて、横井のあとに高石さんが軽妙な語り口で歌われ、途中で、「猿舞座」の村崎修二さんとともに「友よ」など歌われた。猿回しの村崎修二さんとも40年ぶりに再会した。



そのあと、高石さんが佐藤事務局長におくる詩を涙ながらに読まれ、会場はその高石さんの人間味溢れる切々たる言葉にすすり泣いた。素晴らしい舞台だった。

終了後、会場を湯の川温泉に移して、参加された方々と交流した。誰もが、今までで最高の「例会」だったといった。交流会でひとりひとりが話されることを聞き、私は、感動でいっぱいにになっていた。

その夜、47年前の出来事が一瞬によみがえり、こういう方たちがいたからこそ、今の私がいると、深い感謝の念と喜びで布団に入ってもいろいろ思い出していた。

さて、翌日5日は、佐藤さんのお墓に行こうということになって、20人ほどで墓参りをした。



お墓の前で肩を組んで佐藤さんありがとうと「花をおくろう」をうたった。参加された方たちとも数十年ぶりに新たな出会いをした。



6月6日 八雲町「歌でつなぐ平和への思い」

5日、お墓参りを終え、私は、特急に1時間ほどのって、昨年も呼んでいただいた八雲へ。4日の函館にも参加して下さった塚本さんは八雲のコンサートにも参加して下さった。午後、一緒に会場つくりをしてから、八雲チーズ工房へ。そこで出されたチーズのおいしいこと!1500坪の土地+チーズつくりの環境を守るためにその倍以上の土地を借りられて素晴らしいチーズをつくられている高橋夫妻。

その木々に囲まれた田園のなかの
ステキなお家の写真がないのは、残念。

木立に囲まれたお宅で食べるチーズは
おいしくて、この環境もおいしさを引き立
てるといわれていたのに、写真を撮るの
を忘れてしまった。

夜のコンサートに来てくださった高橋夫妻と
パチリ!

5日の夜は、遊楽亭という温泉宿に泊まった。翌朝、露天風呂に入り、空をみると青くきれいに澄んでいる。空があって海があって山があって森があって大自然に抱かれている豊かさをしみじみ感じながら露天風呂に入った。

この日は午後と夜と二回公演。一日に2回公演はしないのだけれど、主催者である赤井むつみさんが、八雲の人々は、昼は除草作業、夜は搾乳などがあり、みんなに聞いてもらいたいという熱意で実現した。


午後の部は、合唱団の方たちが23名も参加して下さった。そのまま聞き手になって下さって、上天気で除草作業のために来られなかった人たちの席を埋めていただいた。

午後のコンサートでは、ナント、
高校一年の時、函館で横井の歌を
聞いたという阿部正喜さんという方が、
今朝の新聞を見てきてくださった。

そして、びっくりするほどたくさん
北海道の珍味を下さった。
うれしい限りです。

昨年もコンサートの模様が北海道
新聞にでたら、「知らなかった。
今度はいつくるのですか」という問い合
わせがあったそうだ。

1969年から10年くらいは、道南を中心に
北海道各地に行った。

それを覚えていて下さって来て下さるなんて歌手冥利に尽きる。今回も八雲労音の方たちや、あの頃「うどんや娘」を歌っていましたという女性も来てくださった。

下の写真は、午後の部ですが、夜は、若い方たちも多くビックリした。それは、八雲町は、北海道三大あんどん祭りの一つがあり、赤井さんは三十数年前、そのあんどん祭りの仕掛人だったのだ。若い人たっはその仲間たちだった。



実は、今回、2度目の八雲ですが、昨年、8月にはじめて市議会議員も幼稚園もされている赤井むつみさんからご連絡いただいた。戦争法案阻止のためにぜひ八雲でコンサートをしたいといわれ、急遽9月9日にコンサートをしていただいた。

その時もその情熱に圧倒されたのですが、今回二回目で赤井さんの情熱のルーツを聴く機会もあり、ますます赤井さんに、八雲に、惹かれました。日本中、コンサートで伺う時、いつも感じていることですが、どこに行っても、「日本中どっこい、しなやかに、したたかに生きている女性たち」に巡り合えて感動しますが、この八雲でもそんな女性たちを発見しました。



コンサート終了後は、また、おいしいお料理と、北海道新聞の女性記者や会社経営の若い女性やイチゴ農家の若い男性たちとと一緒に会食。本当にいい仲間たちでした。


翌日7日は、函館に帰るまで、花畑などに案内していただきました。



この大地のように、北海道はフトコロが大きい。デビューの地でもあるせいか、私は故郷のような温かさを感じる。午後のコンサートにいらした別の地域(乙部)の方が、乙部でもコンサートをしたいといわれたそうだ。

できれば、来年、食べ物がおいしくて鮭の川のぼりも見られる9月頃に行けたら嬉しい!八雲には温泉もあるし、食べ物もおいしいし、東京の友人たちを誘っていけたらさらに嬉しい!
それに、1年先位の予定があるとそれに向けて生きることができて楽しい!

今回の函館、八雲の北海道ツアーは、ここ数年のうち10本の指に入るくらいの血がたぎるような感動だった。私はなんという幸せな人生を送っているのだろうと思った。こんな喜びを与えて下さった函館の広瀬さん、八雲の赤井さんはじめ、皆さま本当にありがとうございました。

2016年6月9日
 横井久美子