Kumiko Report 2/Sep/2016
歌のある旅 第17回アイルランドツアー

8月18日 
成田空港で集合。今回は横井を入れて22名で富士国際旅行社の添乗員の谷藤さんが付いてくれた。ここ数回は、20名に満たなくて、横井は1人でドキドキ。今回は、楽ちん、大船に乗った気持で一路ヒースロー空港へ。

ヒースローから北アイルランドの首都ベルファーストへ。到着は、8時間の時差があるので、日本時間で真夜中。この日はすぐ就寝。

8月19日 ベルファーストの造船所でつくられたタイタニック号の記念館へ。2012年沈没100年を祈念してこの記念館ができるまでは、私たちはガランとした広大な跡地を見学していた。素晴らしい記念館が完成し、「歌のある旅」の魅力に一つになった。以下のビデオでも言っているようにタイタニック号は「職人たちの努力と技術の賜物でてきた」その労働の様子が見事に分かる記念館」だ。


ただ、何万人という造船労働者は、ほとんどプロテスタントで、カトリックのアイルランド人は雇用されず、英国の経済をうるおしたということです。

そのあとは、アイルランドに3つある世界遺産の一つ、火山活動で生まれた4万もの石柱群が連なるジャイアンツコーズウェー(巨人の道)へ。昨日から雨が降っていたのが、バスを降りたら止んだ。誰かの念力のおかげらしい!

この日は、「ブッシュミルズ イン」で泊まる。いつくものホテル賞を獲得したという「秘密の部屋」のあるホテルで、北アイルラドに行ったら絶対泊まりたいホテルだ。

8月20日
さー、いよいよデリーへ。17回してきたアイルランドツアーだけれど、最初の3回は、北アイルランドは治安が不安で行っていない。



横井が最初にデリーを訪れたのは、1988年だった。あれから28年、デリーは変わった。「私の愛した街」の背景になった1972年の「血の日曜日事件」以来、街の人々は、「事件」の真実を明らかにしようと40年余もたたかいを続けてきた。




事件の起きたボグサイトには、たくさんの壁画が描かれ、街の人々は真実追及の手を緩めなかった。

この40年にわたる闘いが実をむすび、「血の日曜日」事件を引き起こしたのは英国軍であると、数年前、当時のキャメロン首相が謝罪した。横井は、30年近くこの街に足を運んで街を見てきたが、キャメンロン首相の謝罪後は本当に街が明るくなったと実感。

デリーの事件、その後の人々のたたかい。こんな昔のよその国のことにどうしてこんなに惹ききつけられているのか。考えるとそれには二つの理由がある。一つは「私の愛した街」という歌があること。二つは、真実を明らかにしようとする人々の闘う力を学びたいこと。素晴らしい歌は、それだけで人々の心をとらえ、単なる地域・国だけでなく世界的な広がりをつくる。また、自分が育まれ、慈しみを受けた街を愛する気持ちは、世界共通。それを破壊したものへの怒りも世界共通。その街を取り戻すには、闘わなくては取り戻せない。

「血の日曜日事件」を知った人が、「まるで沖縄や辺野古のたたかいのようだ」と言われた。真実を明らかにし、人間の尊厳を取り戻すたたかいは、世界共通なのだ。

私とアイルランドとの関わりは、1975年のベルリンの世界音楽祭に参加してアイルランドから参加した3人のグループが歌う「私の愛した街」を知ったことから始まった。



この歌は、1972年1月30日、「すべての人々に公的権利を!」と叫ぶ1万人の公民権デモに、英国軍が発砲したことを背景にしてつくらた。その時、殺害された17人の慰霊碑の前で、毎年「私の愛した街」を歌う。この歌は、今ではデリーの「ホーリーソング(聖歌)」になっている。

このあと、フリーデリーミュウジアム(血の日曜日記念館)、タワーミュウジアムなどに行き、事件について学び、この夜は、城壁内でボグサイトにも近いホテルで泊まった。

8月21日
このツアーは、北アイルランドからアイルランド共和国まで、アイルランドを三分の二ほど移動する。この日は、デリーから共和国の西に位置するアラン島へ、バスで大移動。

しかし、途中で1923年ノーベル文学賞を受賞したW・B・イエイツのお墓に寄ったり、ノックというマリア様が降誕し、その姿をノックの村人たちが30分も見たと証言があり、バチカンに認められた聖地に寄ったりする。私たち日本人は、とても信じられないが、それで、田舎の真ん中に街ができ、飛行場ができ、何十万というカトリック信者が訪れている。

バスの中では、24日に大聖堂で予定されているサンドラとのジョイントコンサートに皆さんも歌ってもらおうと「ふるさと」の二部合唱を練習。そのほかに「アイリッシュララバイ」「よみがえれわが大地」の練習。今回は、歌える人がたくさん参加して下さってハーモニーもきれい!

アイルランド第二の都市ゴルウェーで楽器店に寄ったりして、ロッサビール港から40分ほど船に乗ってアラン諸島のイ二シモア島へ。この日は、人数が多いので3つのゲストハウスに分宿した。やはりアラン島は寒い。



8月22日

北アイルランドからずっと雨模様で心配していた。特にアラン島でお天気じゃなかったら楽しみは半減する。朝から空を見上げていた。お天気が心配で胸が痛くなる。なんとラッキー!だんだん晴れてきた。この日から帰国まですっとお天気に恵まれた。

午前中は、イ二シモア島の最大の見どころ、ダンエンガスへ。何のために、誰が、いつ、このようなものをこんな辺鄙なところに建てたかは不明。



壁のむこうに小さな入り口があり、そこにはほんの少しスペースがあり、その先は半分に削られたように何もなく絶壁。柵もなにもなく下を見るには腹這いにならなければ危ない。ここで、大西洋の向こうにあるアメリカをバックにみんなで「ふるさと」を合唱した。



午後からは自由時間。1936年、世界で初めての記録映画といわれるロバート・フラハティ監督の「アランの男」の映画をみたり、散策したり。

夕食前、ゲストハウスの「オードエーニャ」で横井のコンサート。ご要望に応えて、横井初体験という人もいるので、横井のヒストリーを語りながら1時間歌う。そのあと、大聖堂での演奏のためみんなでコーラス練習。



お天気もいいし、外に出て、大自然のなかで、海に向かって、胸を広げて歌ってみようと「オードエーニャ」の前でみんなで練習。気持ちよかったね。音楽は「快感」「共感」というのが私の口癖。歌っていて気持ちよくなければ歌じゃないよね。きっと皆さんもカイカンを感じられたと思う。



私が皆さんの前に出て、「もっと大きな声で!」「私がいるとこまで声が届くように!」と言っていたら添乗員の谷藤さんが、アラン島の海をバックにこんなステキな写真を撮ってくれた。



8月23日

アラン島にお別れして再び船に乗り、大型バスが待っているロッザビール港に戻り、「巨人のテーブル」のあるバレン高原へ。

アイルランドで忌み嫌われている英国議会を代表してアイルランドに侵攻してきたクロムウエルが、この地にきて「吊るす木もなく、埋める土もなく、溺れさせる水もない」ということを言ったというが、石灰岩に覆われたこの地をみると納得する。



何のためにこのテーブルのようなものがつくられたのか不明だが、たぶんお墓ではないかと言われている。数年前の写真は、テーブルの下に入って写真を撮っていたが、今は、ロープが張られ禁止されている。



「巨人のテーブル」のあとは、「モハーの断崖」へ。
アイルランド中でも壮観な眺望を誇り、断崖は200メートルにも及ぶ。丸い塔は、ナポレオン時代の見張り塔の残骸と言われる。たくさんの観光バスがきていた。時々、ここでハープを弾いて美しい声で歌うティナと一緒に歌ったが、今年はいなかった!



この後、横井の留学していた地リマリックへ。そして初めて泊まるサボイホテルへチェックイン。このホテルは5つ星でもシャワーしかない部屋もあった。

ただし、そのシャワー室はオープンで椅子があったりして、これはバスタブに入れない高齢者や障害者用らしい。ヨーロッパでは、海外旅行も今後は高齢者や障害者も宿泊できるようにとこういう考慮がされていることを、このシャワーで初めて知った。

到着した日のベルファーストのホテルもそうだったようで、今回の参加された76歳で足の悪い方がそうした部屋に泊まって感謝しておられた。

8月24日

この日午前中は、12世紀にたてられた聖メアリー大聖堂でのジョイントコンサート。横井が最初4曲歌い、私のリマリック大学でのバウロンの師サンドラの演奏へ。



今回は、サンドラの娘さんで今年大学入学が決まったカレンちゃんが一緒にきれくれた。カレンちゃんはフィドルだけでなく、アイリッシュダンスも踊ってくれて、また、サンドラと一緒に歌も歌ってくれた。このカレンちゃんの声がまた素晴らしい!

私はサンドラの歌や声が本当に好き。今年も聴くことができたヨカッターー!



そして、ツアー参加のみなさんも前に出て、練習してきた3曲を歌った。この大聖堂は、観光名所でもあり、私たちの演奏中も、入場者が静かに素晴らしステンドグラスや回りのものを眺めている。

最後に、前に出てみんなで歌う時は、観光客がベンチに座って聞いてくれていた。今年は割とお客さん?が多かった。「アイリッシュララバイ」の時は、一緒に歌う老夫婦もいて楽しんでくれた。



沖縄から参加された方が、「ここで『よみがえれわが大地』を歌っていたら、今、辺野古で闘っているみんなを思い出して涙でてきた」と言われ、その言葉が心に浸みた。

この「よみがえれわが大地」は古いケルト語の歌。アイルランドは800年にわたって英国の植民地下にあり、言葉を奪われ、教会を破壊され、英国の産業革命の時にはすべてのアイルランドの木々が英国に持ち去られたという。今はこの歌はアイルランドの環境保護の歌としても歌われているそうだ。

このあと、リマリックで最古のパブであるロックで、サンドイッチをつまみながらサンドラとカレンと交流した。
参加者の皆さんも二人の演奏にとても満足してくれた様子。

二人に別れを告げ、私たちは最終地アイルランドの首都ダブリンへ。北から南へ。都会人の私は、やっぱり都会へくるとなんだかホッとする。アイルランドが誇る「ケルズの書」が納められたトリニティカレッジの天井の高い長い長い図書館へ。そして、繁華街に近いオキャラハンホテルへ。

8月25日

この日は自由行動。グレンダロッホに行く人、ダブリンを散策する人、昨日のトリニティカレッジをゆっくり見たいと再度行く人、リピーターのご夫婦は、アイルランドの世界遺産の一つニューグレンジまで足を延ばされた。こういう自由時間はとてもいい。

そして、アイルランドの最後の〆は、「リバーダンス」。アイルランド音楽やアイリッシュ・ダンスを基につくられた舞台作品、ショウである。アイルランドに伝わる神話や伝承、ジャガイモの大飢饉のためにアメリカに移住を余儀なくされた歴史や多様な民族との交流をモチーフとしている。

アイルランドを回ってきて、巨人のテーブルを見て、石の風景や緑の牧場、広がるなだらかな丘を体験し、サンドラの古いスタイルの音楽を聴き、その総まとめのような舞台だ。800年にわたって英国に搾取され、飢饉にあい、苦しい歴史を背負いながらも、今、目の前で微笑みながら演奏したり、踊ったりする演技者から、アイルランド人の誇りや喜びが伝わってくる。アイリッシュダンスに不屈のアイルランド魂が感じられ、圧倒される。舞台作品、ショウとはいえ、今、生きているという生への賛歌を感じるのは、私ばかりではないだろう。



アイルランドツアーの〆は、やはり「リバーダンス」だと思った。

8月26日

帰りのダブリン空港出国のセキュリティチェックでギターをケースから出され、そのギターを検査員の男性が弾いて歌いだした。私もギターで「アイリッシュララバイ」を歌ったら、検査係の人たちもとても喜んで一緒に歌った。ツアーの数人の方も一緒に歌った。いろんな場所で歌ったことがあるが、ホンの一瞬だったけれど、空港のセキュリティチェックの場で歌ったのは初めてだった!

8月27日

成田空港に無事到着。今回は、入社5年目の若くて有能な谷藤さんが添乗についてくれて、それも彼女は一昨年に続いて2度めで、私は本当に楽ちんなツアーでした。また、喜ぶべきことですが、こんな時はなんの事故も起こりませんでした。

今回も関東以外の方が多く、成田から沖縄へ、滋賀へ、名古屋へ、松江へ、長野へと帰られました。その後、自宅まで着くのに大変でしたね。

最後に

帰宅数日後、参加された方から「横井さんが長年培ってこられたツアーだけあって本当に良いコースでした。できることならもう一週間ほどダブリンに滞在したかった。」とお手紙をいただきました。

「See you next summer!」と、サンドラにも言って、すでに来年8月の予定も組んできました。

アイルランドツアーは、、毎回リピーターがいて、今回も2名の方がリピートされた。アイルランドは、多面体で、音楽、文学、歴史、南北問題、民族、宗教問題、どんな所からみても興味の尽きない国です。そんな多面体の国を分かち合って下さて嬉しいです。

毎回、言うことですが、今回も、人間力、共感力の優れた方たちが参加して下さって、そんな方たちのおかげで素晴らしく快適なツアーができたました。皆さま本当にありがとうございました。

2016年9月2日   
 横井久美子        写真 横井久美子 谷藤麻衣子