Kumiko Report 7/Sep/2016
♯9 おいで一緒にinくにたち 安田雅司郎さんを迎えて

9月4日 「おいで一緒にinくにたち」を開催。会場いっぱいの方が来てくださった。

最初は7月に亡くなられた永六輔さんにちなんで「見上げてごらん夜の星を」「遠くへ行きたい」「上を向いて歩こう」の3曲を歌う。



先月の官邸前「ひとり歌い」の時、「見上げてごらん夜の星を」を歌った。ライトアップされた国会議事堂の上に星が輝いていた。「僕らのように名もない星が ささやかな幸せを祈ってる」の歌詞がまるで我々のことのようだと、思いながら歌っていた。

「上をむいて歩こう」は、「上を向いて……」の部分が「ウヘホムフイテ」に聞こえ、永六輔は「何だその歌い方は!」と坂本九に向かって激怒し、「これでは絶対ヒットしない」と言っそうだ。この独特の歌い方は、坂本九の母親が小唄や清元の邦楽を九に教えていたということ、また、プレスリーなどの影響もあったとも言われる。永六輔は、のちに、坂本九の邦楽的な歌い方が、この歌の世界的なヒットと関係があると考えたそうだ。


1960年に発表されたこの歌は、60年安保の挫折に負けないように書かれた詩ともいわれている。

さて、いよいよ安田さんの登場!

「ダニーボーイ」などのギターの
ソロや歌を交えて30分
演奏してしていただいた。

ナント、このライブのために「うどん屋
娘」歌ってくれた。


私もビックリ!

安田さんは、もう40年近く私のギターを弾いてくれていて、ベトナム公演やスリランカなど海外にも一緒に行ってくれた。安田さんのライブに数回いったことがあるが、多くは私のサポートミュージシャンで、私はゆっくり安田さんの演奏を聞いたことがなかった。



安田さんは、声は昔から素晴らしく渋い
声であるのは分かっていたが、
今回はギター
ソロを聞かせてもらってたまげた!


日本のギターリストの5本指に入るにちがい
ない。

テクニックがスゴイというありふれた言葉
で表現したくないギター演奏だった。


短い時間だったけれど、私自身が
安田ワールドに
たっぷり浸ることができた。

さて、休憩をはさんで、今回は、私はギターを持たず、安田さんのギターで今まで歌ってきた歌を中心に歌った。




1曲目は、ハルモニュウムを使ってポーランドのパルチザンの歌「今日は会えない」




そして
「明日はワルシャワ」
「モンテカシノの紅い芥子」
「四月のカーネーション」
「アシンボナンが」
「私の愛した街」

ギターを持たないで、安田さんのギターで歌うは、とても
歌っていて気持ちがいい。

安田さんを日本のトップギタリストと思うもう一つの点は、
これほど歌手の歌う息遣いに添ってリードギターが
弾ける人は数少ないと思うからだ。

星さんもしん君も、安田さんの邪魔をしないようにと、二人の人柄か、とても謙虚?に私たちに合わせてくれた。二人のレギュラーミュージシャンも本当に気持ちのいい人たちだ!しん君のかつらを取る瞬間は、知っていても何度見ても笑いをさそう。


最後は、今、大問題になっている「高江」に連帯して「沖縄 今こそ立ち上がろう」を皆さんで大合唱。

終わってから安田さんを囲んで交流会。「アシンボナンガ」や「四月のカーネーション」など、最近聞けなった歌が聞けて良かったという人。「うどんや娘」大好きだから安田さんが歌ってくれてヨカッタという人。皆さんにもとても喜んでいただけたようです。



私は、今日は「歌う楽校」をし、明日から1か月間、第二子を出産した娘を手伝うためワシントンに行きます。3年前の第一子の時は、これはもう「下女生活」だと思うほど大変だった。今回はどうだろう。

アメリカでは、おばあさんのことをNana(ナナ)と呼ぶ。向こうでもインターネットはできるので、もし、それほどの「下女生活」でなかったら、「ワシントン Nana 生活」をHPに載せることができるかもしれない。それでは、皆さま 秋まで御機嫌よう!

2016年9月7日
   
 横井久美子        写真 前田孝子