Kumiko Report 21/Nov/2016
二ヵ月ぶりのHP ⑦ なみちゃん・金官クラブ

二ヵ月ぶりのHPも最後、やっと現在に追いつきそう。

この二ヵ月の忙しさの締めくくりは、11月4日にワシントンの娘が2カ月半の娘を連れて来日し、10日間、滞在していたこと。娘の日本での仕事が子どもの誕生前から決まっていたので、来日を決行したのだ。

滞在中、娘は仕事で、大阪、長野、東京都心とでかけ、その間私は、孫の面倒を見ていた。娘がいる時は当然ながら食事、洗濯も。



娘は、母乳で育てているので出張の時は、搾乳し、冷蔵庫へ。それを温めて哺乳瓶で与える。孫のなみちゃんは、これが哺乳瓶初体験。いろいろ哺乳瓶の大きさを試しながら哺乳瓶で母乳をやっていた。二カ月半で6キロ程あり、彼女は超健康優良児だ。

体験されている方はお分りだけれど、どんなによく眠ってくれたり、また、一人でメリーゴーランドを見て遊んでくれていても、赤ちゃんが存在すること自体が気が抜けない。泣きだして、泣き止まないときはなおさらだ。娘がいる時は責任がないが、それでも、幼い子どもの存在のオーラや魅力は大きく、気持ちが引っ張られる。

振り返れば、私も関西方面で仕事がある時は、名古屋の母に新幹線の名古屋駅のホームに立ってもらって停車中に長男を渡し、帰りも同じように受け取ったり、ギターのケースを台にしてオムツを替えたりした。海外公演の時は名古屋の実家に二人の子どもを預かってもらった。娘も同じように働く母親として頑張っているので協力しなくては!。

14日に帰国する娘親子を成田空港まで見送りに行った。そして、娘親子がいなくなったら、やっと、自分自身に、「横井久美子」という個人に戻ることができた。翌日は、疲れてほとんど寝ていた。やっぱり「孫は来て良し、去って良し」ですね。

という訳で11月15日以降、正常な生活に戻った次第です。

11月18日(金) 金官クラブ

金曜行動に連帯して、「歌う楽校」の皆さんと衆議院南門前で、「みんなうたい」そして横井の「ひとりうたい」をした。11月になると、もうあたりは真っ暗。

新人の警察官なのか、私たちがいつもの場所ではじめようとすると、「抗議行動の人たちの場所はあちらにありますからここではしないで」というので、楽校のメンバーが「私たちもう3年も同じ場所でしているんですよ」と言うと「上に聴いてきます」と言って去っていった。その後、何も言わないところを見ると、既成事実がを認めたのでしょう。



 4曲ほど「みんな歌い」をして、彼らはスピーチエリアへ。

一人で歌っていると、人々が通り過ぎてゆく。それでも会釈をしてくれる人が多くなっている気がする。

官邸前近くで祈っていた日本山妙法寺の方たちが、いつものようにこちらに移動してきた。一番ご年配の高僧といつものようにハイタッチ! 毎週来られているこういう方たちの行動には本当に頭が下がる。  

私は一切話さないで歌う。太鼓をたたいてお経を唱えている日本山妙法寺の方たちと同じで、私の歌は、祈りの歌なのだ。



車椅子の女性が通りかかり、車椅子を止め、じっと聞いている。数曲終わると、

「横井久美子さんですか?『私に人生といえるものがあるなら』を歌っていただけませんか?横井さんがされた7.11のコンサートのあと、笠木さんが病気の体をおして、千葉の私たちのところに来てくださったのです」

私が「私に人生といるものがあるなら」を歌うとずっと泣いておられました。

笠木さんの歌は、こうして多くの人たちの心に深く残っているのだとあらためて思いました。

という訳で、やっと行動と日付が近くなりました。来月は12月2日(金)6時から、雨でなければ、同じ場所の衆議院南門前で歌います。

2016.11.20 横井久美子             写真 前田孝子