トップページへ 2019年 No1 10月5日(土) フェイスブック フェイスブックに3年前から参加しているが、最近はほとんど見ていない。何故かというと私の友達はいつのまにか3500人位いて、顔と名前が一致する人はわずか。そういう人たちの人生や日常が、毎日ドバっと入ってくると疲れるのだ。SNS疲れというか。 また、誰かに「いいね」をすると皆にしなくては悪いと思って「いいね」は、なるべくしないようにし、本当にいいと思った投稿にはコメントをしていた。「いいね」を期待されているのにしないのも、それもストレスになる。自分が投稿することもあるが、素通りされているような感じもする。自分の素通りしているので同じだが。友人で20人ほどの仲間だけでしている人がいるが、こういう場合はSNSは効果があると思う。フェイスブックはやめにして、HPのブログを書くようにする。この私のHPを訪れてくれる人は数は少ないし、名前も顔も見えないが、そういう人こそありがたいし、大切にしたいと思っている。 No2 10月10日(木) アイルランドツアーで発覚 7月21日に50周年記念コンサートをして、その4日後の25日に定期検査をしたが、腎機能も含めすべて正常だった。だからビックリビックリ!ずっとシクシクしているだけだから元気で、腎臓が腫れていると言われなければ飛び回っていた。不思議?先生に聞いた。「おなか開けてみて、そのはっきりしないモヤモヤが凄いものでその場で死ぬということはないんですか?お金の隠し場所などを夫に知らせておかないといけないので!」と。「それはないでしょう!」と先生。そうだよね、先生は、死ぬとは言わないよね。 昨夜、寝ながら、医療ミスだってあるから手術中に死んだ場合、どうしよう?前田さんにコンサートに来てもらった人たちに知らせてもらうかな?その文章考える必要あるかな?でも、値上がりしたはがき63円で2000枚も出したら126000円。もったいないな?そうだ、新聞の死亡広告はタダかもしれない!それがいいやと解決策を見つけたら安心して、そして、馬鹿らしくなった。 75年間、何の病気もなかった奇跡のこの肉体!50周年コンサートも成功したし、もういつ死んでも悔いはない!しかし、どうもそう簡単には死なないような気がしてきた。 No3 10月21日(月) 50周年コンサート後の超多忙な日々 今日退院してきた。病名は腎盂癌で右の腎臓を摘出。手術時間は5時間。腎臓の手術は難しいらしく、私の場合は更に難しかったようです。医療ミスもあるし、死んだらと思って前田さんの退職金も夫に渡してきた。人間の体には卵巣、精巣、肺、腎臓が二つづつある。スペアタイヤのように卵巣をとっても妊娠もできるし、腎臓をとっても普通に生活できる。しかし、10センチ切ったから今は全治1月の傷かな。最近の病院は、翌々日から、まず看護師が介護して廊下を歩かせ、次は点滴をしながら、次はお腹の傷を抑えながらと歩いた。 前回も書いたけれど、コンサート後の7月25日に市の検診で腎機能は正常だったのでビックリ。それでその後の行動を考えてみた。7月26日はネパール青年たちが6名+桜井さん、石井さん計8名が我が家に泊まり、翌27日にネパールの青年たちと「はとバス」で靖国神社やスカイツリーに行き、28日に深夜便で帰る彼らを羽田空港まで見送り。その後、ご夫婦で大ファンの方が癌で亡くなり、遠方までお悔やみに。8月25日に川崎でステージコンサートがあり、前日リハサール。拘束時間がいつも以上に長かった。その三日後からアイルランドツアー。 12日間病院にいて、本も7冊読み、これからは副交感神経を高め、優雅なスローライフを送ろうと決めた!病気になってヨカッタ!と思える人生を!次回からは、HPをリニュウアルして、「片腎久美子の療養日記」を書くつもり。また、「OnlyOne Staff 前田こう子のBlog&Photo」や「我ら歌う楽校 リレーブログ」も予定しています。傷は治っても本来の体力回復には数カ月かかりますが、あまり元気にならないことを肝に命じながら元気です! 息子や娘も夫に「お母さん大丈夫??気落ちしていない?」と聞いてきた。心配してくれる気持ちは有り難いが、私は「アイツら、こんなに長く私と付き合っているのにマダ私の本性分かっていないなぁ」と思った。人間は、いつかは死ぬし、永遠の命なんてないから。担当医にも50周年コンサートのパンフレットを渡し、「これだけのことをしてきたから、いつ死んでも悔いはないので、抗がん剤治療はせず、ニンジン、野菜ジュース、玄米菜食の食事療法で治します。」と宣言して退院してきた。「友寄さん(私の本名)強いですねぇ」と感心された。 数日前から国立駅前のスーパーまでリハビリを兼ねて買い物に行っている。荷物持ちとしてほとんどパソコンの前に座り込んでいる夫も散歩がてら一緒に誘って。 病院から退院して考えたことは、まず、今まで上げ膳据え膳の夫に家事の分担をしてもらうこと。食後の洗い物はすでにしていたので他に、①毎日のゴミを出し。②一週間に一度掃除機をかけること。➂食料品の買い出し。④家の周りの掃除。結婚して51年目にして家事を分担をした。自分の使うトイレはすでに自分で掃除してもらっている。飛躍するが、「原発はトイレのないマンションみたいなもの」と言われるが、原発を推進している「原子力村」はほとんど男性でしょ。そういう人たちはトイレの掃除なんて一度もしたことがない人種だと思う。 いづれにしても、私が思うように体を動かせないこの時期に決めておかないと、結局、イライラして自分でやってしまう。退院翌日、漆喰の壁に時計を取り付けることを夫に頼んだら踏み台を持ってきて開始。漆喰壁だからか1時間経っても悪戦苦闘している。ついに、痛いお腹を支えて踏み台に乗り、私が取り付けた。これがいけないのだ!と深く反省。 それにしても、退院直後の動けない時、たった一人だったら大変だ。更に進む高齢化社会。病院は完全看護であっても、一人暮らしの場合、退院後のケアはどうなるのだろう。「世間チョーエツ学者夫」の存在をこんなにも有り難いと思ったことはなかった。男性の家事の習熟は、本人のためでもある。果たして続くかどうか? No7 11月9日(土) 優しい一般人 病気が9月9日に発覚してから2ヵ月。その間、検査入院、手術を経て、やっと医学的な生体検査の結果が出た。その結果を聞くために病院へ。夫と息子も同行。会社を休んでまで来なくてもいいと、何度言っても息子がついてきてくれた。こんなに優しい子だったかしら?「子育てが趣味か?」と言うほどの娘たちへの愛情たっぷりは、子どもだけでなく、親にも優しんだ!と我ながらビックリ。たぶん、息子の46年の人生で一番弱い母親の姿に本領が発揮されているのだろう。そうだろうなぁ、私は、母親としていつも夫や子どもの世話をする側で、誰にも助けてもらわず生きてきたからなぁ。母親というのはそういうもんだけどね。今、はじめて心配される側になり、人の優しさが分かるんだなぁ、それにしてもナンテいい息子だろうと感心できたのも病気のおかげだ! 若い癒し系の担当医師から、転移の可能性があるからと、抗がん剤治療をすすめられた。入院中、私は星野仁彦先生、済陽高穂先生のゲルソン療法をもとにした食事療法の本を6冊ほど読んでいて、抗がん剤治療はしない!とエラソウに先生に宣言していた。だから一瞬迷った。「決定は考えてからでもいいですよ」と言われたが、食事療法はすぐには効果がでないし、抗がん剤治療と併せて食事療法をすることで、副作用を軽減させられるそうなので、受けて立とうと思った。 この病院は、ダビンチというロボット手術の機器を日本で二番目に導入した腎臓内科の専門病院。ベット数25ほどの小規模病院で、先生も看護師さんも優しくてアットホームで気に入っている。バスで行ける近さも超便利。以前、もし、生体検査の結果によっては、もっと大きな病院で治療してもらうかも、と言われていたが、私はこの病院が気に入っているのでここを動きませんから!とも言っていた。今回の治療はこの病院でできるので嬉しい。 息子は、もう帰っていいというのに、最後の最後までいて、「抗がん剤というと髪が抜けるから毛糸の帽子を用意しておいたほうがいいよ」と言いながら車で自宅まで送ってくれた。「そんなこと分かっているよ!帽子なんかいっぱい持っているのに!」。やっぱり普通のことを普通に心配する我が家の優しい一般人である。 No8 11月16日(土) 抗がん剤治療開始 昨日、3日4日入院し、抗がん剤治療を受けて帰宅した。私の治療法は、GC療法といわれる最初に行われる標準療法であるという。1日目の点滴でゲムスタビン投与を30分。翌日、シスプラチン投与を2時間。それを挟んで吐き気止め、利尿剤、整理食塩液を点滴。4日間手錠のように点滴につながれて、やっと解放された。 それでも、手術の時とは大違い。お腹の傷は治ってきて体は自由に動けるし、同じ病院、病室で、「また戻ってきました!」と看護師さんに明るく挨拶。それでもそれでも、抗がん剤投与は初めてで緊張する。副作用が出て、それに耐えられず中止する人もいるらしい。99パーンセントの医師が、自分が癌になっても抗がん剤治療は受けないというトンデモナイ本も読んだ。 いよいよ薬の説明。「トイレが終わったら飛び散らないようにふたを閉めて2回流してください」「副作用としては、投入後から数週間の間に、個人差はありますが、食欲不振、吐き気、発熱、呼吸困難、骨髄抑制(白血球、血小板の減少)感染症、間質性肺炎等々があります」。抗がん剤は、癌細胞も叩くけれど、正常細胞も叩くから、こういう副作用がでるのだ。 いよいよ開始。看護師さんは防護服を着ているよ!それほどの劇薬を体に入れるのだ。怖いなぁ!緊張する!看護師さんはそれを察してしばらく傍で話してくれた。「気力、体力があるから受けられるのよ!」。私も「糖尿病や肝臓棒病や高血圧など、食事療法を宣伝しているのに、どうして癌は、副作用がある抗がん剤しかすすめないの?」「食事療法はエビデンス(結果)がないからね」 投与の途中で問題発生!私は、若い頃から血管が細くて「救急車で運ばれたら大変だよ」と言われていた。最近では手の甲から注射をしていたが、どうも細くて点滴が流れにくくなり腫れてきたので注射の場所を変更。1日目が終わり、先生が「明日の薬が本番だけれど、このままでは点滴がだんだん難しくなってくるので、他の病院で胸の血管から点滴できるCVポートを付けたらどうでしょう?」「えっ病院変わるのですか?また穴開けるなんてヤダぁ!」「器具を取り付けるだけで治療はここでします。本人も楽ですよ」」 こんな事態になって、この際、これを口実に抗がん剤治療を中止しようかと思った。が、せっかく、やる気になったんだから、もし、中止したらきっと後で悔やむだろうと思った。パラリンピックの選手たちが、不自由な体に打ち勝ち活躍している。彼らは何度手術を受けてきただろう。私の胸の小さな穴なんか問題じゃない!「じゃその器具取り付けます」。それで器具なしで2日目の本番の投与は無事終わった。少しでも針がずれたら大変なことになっていたので、2時間は腕は絶対安静。終わったらバンザイと晴れ晴れ。先生も「無事にずれずによかったですね」 さて、昨日、帰宅して、今、副作用が出ないか待っている!血圧が上がっているがまだ何の兆候もない!早くこいこい副作用とは言わないが、ここ数日でどうなるかなぁ? No9 11月21日(木) 手抜きの子育ての結果 抗がん剤投与から8日経ち、副作用がどんなふうに出るか観察している。5日目は一日中だるさが出て頭痛もした。6日目に歯ぐきが腫れて夜の歯磨きの時、血が出た。これらは想定内で、それ以外あまりひどい副作用は出ていない。食事療法をしているので軽減されているのだろうか?今週2週目あたりから白血球や血小板が減り、感染症になりやすい時期に入るので気を付けよう! 私の友人と電話。「横井さんのブログを読んですごく今まで忙しかったのに、優しい息子さんによく育ててきたわね。自分の子育てを振り返って反省したわ」と言われた。「お宅の息子さんはアーティストでしょ。うちの長男は一般人だから普通なのよ」。でも、電話を終わって考えた。愛情たっぷりという優しさは長男の持って生まれたものだけど、こまめによく働くのは、他の家族3人が役に立たないからだ。 人間って一人で生きていれば、自分ができることを一人でしなければいけないが、4人いれば、いつの間にか役割が決まっていく。年齢順に行けば、一家を支えるのは親であるが、我が家は、前回も書いたように夫は「世俗チョウエツ学者夫」と「米国弁護士優秀娘」と水商売の私である。小学生のころから息子は妹のお迎えに行き、スイミングスクールに連れていき、電球を取り替え、一家の要をになってきた。それがこんな「一般人」になっているのである。 「優しい立派な息子」は、子育ての成果ではなく、親の出来が悪い分だけ能力?を伸ばした息子の成果!つまり、子育ての手抜きの結果です! No10 11月26日(火) 家族の時間 抗がん剤の副作用を心配していたが、投与後5日目6日目に頭痛・貧血・歯ぐきの出血・しびれなどが少々出た位。食欲はあったし、たぶん世の風評よりずっと軽いと思う。昨日は、投与後12日後、病院ではじめての血液検査。やや貧血が残っているが白血球も元に戻り、回復している。副作用があまり出ていないということは、食事療法のせいか?でも、それは、癌にも薬が効いているのだろうか?副作用はあまり出なかったが、それでも、薬剤が正常細胞を攻撃し、骨髄抑制(白血球、赤血球、血小板の減少)をしていることは体がビシビシ感じていた。この状態は私にとっては外に現れた副作用より大問題で、このことについては改めて書きたい。 昨日は、娘がワシントンから出張で帰国していたので、夫と共に病院について来てくれた。お医者さんも娘さんは初めてだからと娘にも経過を説明してくれた。娘もバリバリのキャリアウーマンらしくテキパキと質問していた。この前夜、息子も我が家に来て一家四人で翌日のお医者さん対策会議。娘は、今回子ども連れでないので、ゆっくり4人で話ができた。私がせめて抗がん剤治療はあと1回にしたいけどどう思う?という意見に喧々諤々。 対策会議も終わり、我が家の居間に飾ってある幼い頃からの写真を眺めながら、息子が「お前はチビの頃チョーデブだったなぁ」「あの写真のお父さんは今の俺より若いでしょ」と、30年40年前頃の話で盛り上がる。「お兄ちゃん、悪いことして、夜、家の外に一人で出されたこと覚えている?」「便所に逃げて隠れていたらお母さんに外から釘打たれ閉じ込められたことは覚えているよ」「スイミングスクールに行ったことにして、外に水泳パンツ干して、黙ってろよって言ったでしょ」「あの頃、あんな遠いスイミングスクールに自転車で二人でよく通ったなぁ」「お手伝いのお姉ちゃんが保育園に迎えに行くのを忘れてお兄ちゃんが迎えに来てくれたよね」「そうそうあのお姉ちゃんボーとしていたね」「お母さんが外国に行く時は、よく名古屋のおばあちゃんの家に預けられたね」「本当に俺たち過酷な境遇によく耐えていたなぁ」 私は結婚・出産後も年中忙しく、この50年、こういう家族の時間を持ったことがない。病気になったおかげで家族が一つにまとまることができた。病気に感謝!と言いたいほど幸せな家族の時間だった。息子は、妹に「明日、先生との話を聞いたらすぐ知らせてよ。血液検査の結果もね」と言って、夜遅く帰って行った。 No11 11月30日(土) スロージューサー 10月に入院していた時、病院のベットから最初に通販で注文したのは?万円のスロージューサーだった。玄米菜食無塩(減塩)の食事療法なので毎日ニンジン野菜ジュースを飲むためです。普通のジューサーは高速でカットするので酵素が壊れるらしい。スロージューサーは石臼でつぶすようにしてジュースができる。バリバリとニンジンが砕けていく音が気持ちがいい。液体とカスに分かれるので、カスが大量に出て食物繊維が取れないのは残念だけれどすごくおいしい!ニンジンは、無農薬ニンジンを定期的に大量に取り寄せている。 野菜は伊勢市慶蔵院の前島住職が送ってくれる(しばらくはお見舞いということで無料で)。前島住職は黒ニンニクづくりを経て、今や無農薬野菜作りにハマっていて「神宝農産」という法人まで作ってしまった。(ネパールのOKバジさんに学んだことを地域で生かすと張り切っている)。ニンジンジュースにも野菜ジュースにも欠かせないのがリンゴ。リンゴを入れるととてもマイルドになる。送ってくれる方がいてありがたい。レモンは味がしまるので、香川の無農薬レモンを取り寄せて、毎日2個jは取っている。 食事療法というのは、いろんな方法があるけれど、私は、四つ足の動物(肉)は食べない。白身の魚や鶏肉はOK。卵は秩父のYさんが平飼の卵を送ってくれる。ヨーグルトもヨーグルトメーカーを買って豆乳から作っている。油はオメガ3の油を取りたいのでマヨネーズも手作りにしたい。とはいえ、まだまだ新参者なので料理に右往左往している。それでもその毎日の食事作りが楽しみでもある。 スロージューサーが我が家に届いた時は、前田さんとワクワクして荷解きをして、組み立てて初めてニンジンジュースを作った。今や、前田さんが事務所に来ている時は、ジュースつくりは前田さんが担当。ランチは私が担当。お昼は、以前はよく缶ビールを飲んでいたが、今はニンジンジュースで乾杯してランチをしている。すごく健康的な横井事務所です。 No12 12月5日(木) 中村哲さん銃撃される! 昨日のお昼頃、中村哲さんが銃撃され命は取り留めたというニュースを聞き安心していた。しかし、夕方のニュースで死亡と聞いてショックだった。何んということ!アフガニスタンはもとより日本も世界もかけがえのない人を亡くしてしまった!テレビでいろんな方が哀悼の言葉を述べられていたが、途中で安倍総理が出てきて「ショックだ云々」とコメントをしていて腹が立った。中村哲さんは自衛隊の海外派遣に対し、国会で参考人として「アフガニスタンでは、軍隊を出さない日本や日本人にはとても友好的です。だから日本人の私は安全です」と証言し、自衛隊の海外派遣に反対意見を述べられた。戦争法をごり押ししてきた安倍首相に「ショック」なんて言葉を使ってもらいたくない!アメリカの同盟国として自衛隊を海外派遣し、間接的に中村さんの命を縮めたのはあなただから! 2001年9月11日同時多発テロが起こり、その報復としてアメリカは、タリバン掃討を名目に10月7日からアフガン攻撃を開始した。
No13 12月12日(木) モグラ叩き 髪が抜けてきた。副作用については世に言われるほどではないので、かえって髪が抜けてきて薬が効いていることを確信。それにしても人間の髪の毛の量ってスゴイね。頭に手を当てるとバサッと手につくのに、禿げるほどにならない。髪の毛は半年すれば生えてくるので私はゼンゼン気にならない。それに娘がワシントンで4つも帽子やターバンを買ってきてくれた。 癌体験3ヵ月の新参者が思うのは、癌は、暴走する生活習慣病でモグラのようなものだからいつも「モグラ叩き」を忘れないことだ。たとえ顔を出したモグラを抗がん剤によって叩くことができても、モグラは首を引っ込めてまた顔を出す。長年かけてできた生活習慣病(モグラ)だから「生活の質」を長期にわたって変えない限り、モグラの撲滅はできないと私は思う。 それにしても、糖尿病などと同じ生活習慣病なのに、「暴走する」ために「死」と直結するせいか、癌と聞くと誰もが恐れおののく。当事者になってみると、周りの人が腫れものにさわるように感じていてとても不思議。突然別世界の人間になってしまったような。癌治療の世界は急速に進歩?しているのに、「癌=死」意識は変わっていない。 私の後援会「久美子と輝き隊」の会長をされていた藤沢貞子さんが、脳溢血で倒れられて10年余になる。90歳を超え、たとえ外見は人を認識できなくなっても「藤沢さんらしさ」は随所に現れ、お見舞いに行くたびに「人間ってその人の本質は一生変わらないのだ!」と感心した。私もそうだが人は外見に惑わされやすい。金持ちでも貧乏人でも、五体満足でも不自由でも、病気でも健康でも、大人でも子どもでも、外見が違うだけ。人間の尊厳においてその差はないし、たとえ認知症になったり、時とともに背中が曲がったりして外見は変わっても、その人が築き上げてきた「その人らしさ(誇り)」は一生ものだ。どんな人に対しても、それを忘れないでいたい! No14 12月18日(水) Crazy Hair Day
私が娘に「学校でそんな企画をするなんてアメリカはスゴイね」と言うと「だっていろんな人種がいるからこれは特別なことではないのよ」。そうだよね。いろんな人種の集まりだから、髪形以前に肌の色も着る服もすでにいろいろだからね。日本でも今回のラクビーでいろんな国から選手が集まって「ワンチーム」という言葉が動き出している。「ブラック校則」に対しても高校生が立ち上がっている。島国日本も少しづつ変わっていくよね。 No15 12月23日(月) ハラマキ 百貨店でしか使用できない商品券があり、久しぶりに立川の伊勢丹に行った。何を買おうかと考えて、療養生活の身としては、やはりこれでしょ、と、腹巻を買うことに。今までハラマキなんて!と見下していたけれど、今や私のオナカは、ポッコリお腹どころか手術で凸凹オナカだ!美容より健康だ!と、スーパーで買うより数倍のカイロを入れるポケット付きのブランド腹巻を奮発! さて、それでも、商品券が余っていて、凸凹お腹の腹巻姿には、パンツよりもワンピースがいいかなぁと、ブラブラ歩いているとカラフルなニットのワンピースが目についた。 このブランドは、オバマ夫人も愛用している世界ブランドだそうで、創業85年になる紡績工場で自ら羊を飼育し、山形県の土地でこだわりの糸づくりをし、最新のテクノロジーと古い紡績機を掛け合わせた特別な糸を自社工場で紡ぎだしているのだそうだ。私はこういう謳い文句に弱いのよね。何より製品が素敵だ! 私は、ヨージ・ヤマモトの「Y's」の服が大好きで長年着ていた。35周年記念コンサートの時は、?十万も「Y's」に衣装代を使った。50周年コンサートの時も「Y's」に衣装を見に行ったが、あまりに高いので衣装は、自分でリフォームした。そんなケチをしたのに!!!また、最近は断捨離志向で服を買わない方針なのに!!!カラフルで肌触りのいいニットに魅入られ、突然、残っていた商品券をはるかに上回る服を買ってしまった! 言い訳は?凸凹お腹さんへの感謝?ご褒美?クリスマスプレゼント?それとも欲しいという「欲」があることは、生きる「欲」もあるということかな? 今日から2回目の抗がん剤治療で4日間入院です。 No16 12月28日(日) CVポート 二日前に退院してきた。今回の入院は楽だった!何故か?今回は2週間前に鎖骨の皮下に中心静脈カテーテルを埋め込む「CVポート」の手術をしたからだ。CVポートは故小林麻央さんも埋め込む手術をされていたようだ。 私は前回の入院の時、腕の血管が細くて長く点滴をするのが大変だった。劇薬の投入時には、たとえ2時間といえども、腕を全体安静にしているのは大変だった。ポートを付けることを医師に薦められたが、最初はまた手術かぁと抵抗した。 ポート手術の時は、1泊入院し、5センチも切って痛くって、「もう二度と手術はしたくない!」と思ったけれど、点滴の針はポートのシリコン部分に刺すため、チクリともしない。埋め込まれているため、点滴中は自由に両腕を動かせる。顔も洗えるし、本も読めるし、、、。回診の時先生がいらして「どうですか?」と聞かれ、抵抗した手前もあり「快適です!やってよかったです!」と答える。 前回のようにたぶん今回も副作用は世に言われているほどひどくならないでしょう。何よりも前回の経験があり、何日目にどんな症状が出るということがだいたい分かるのがいい。学習力・経験というのはやはり生きるための武器ですね! 2020年 No17 1月1日(水) ヨガ的ロングブレス体操 我が家の一般人から「お母さん今日TVでロングブレス体操の番組があるよ」と、連絡があった。以前、美木良介氏のロングブレス体操の紹介をワイドショウで見た翌日、新聞に大きく広告が載っていたのでDVD付の本をすぐ買った。息子から「お母さんはすぐ宣伝にのせられるね」と呆れられた! 癌になってそれまで通っていた体操j教室を休むことも多くなった。今までヨガをはじめ体力をつけることが日常になっていて「体力は生きる力。筋肉は裏切らない!」と信じているので、「さて、どうしよう」と思った。病気はあっても病人になってはいけない!そんな矢先、ロングブレス体操を知った。最初は、「石原慎太郎氏を引っ張り出してずいぶん商売上手な人だなぁ」と思ったが、自宅でDVDを見ながらできるので昨年12月から開始した。 動作は超簡単すぎだが療養中の身としては良しとして始めたが、これが意外と優れていることに気が付いた!、今まで息を吸って吐いてということはよく言われていたが、簡単な動作にロングブレスを付けたということが優れている! 例えば①グーパーというのは誰でもできるが、ロングブレスと共に手をしっかり握り、しっかり開くという単純な動作。単純な足上げも同様。②第二の大きな筋肉群のある肩甲骨をいつも締めながら動作する。③大腿四頭筋や腸腰筋などインナーマッスルが鍛えらえる。買った本には理論的なことはほどんど書いてなかったが、そのテレビ番組で医者がロングブレスによって血流が体の隅々、毛細血管まで届く。もちろん脳も活性化され、だから脳梗塞であまり歩けなかった石原慎太郎氏もだんだん歩けるようになったと言っていた。認知症の予防にもなるそうだ。 ロングブレス体操で言っている臍下丹田に息を吸う(腹式呼吸)という言うのは意外と難しい。最初は寝ながら臍下丹田(おへそから3センチ下)に重いものを載せて練習する。私は歌を歌っているので腹式呼吸はできるが、10月に開腹手術をしたあと5日間オナカで息が吸えず、ずっと胸で息をしていた。回復を実感したのはオナカで呼吸ができた時だった。腹式呼吸は生きる基本ですね。 昨年から毎朝、5時半に起き、腰湯をしたあと、15分ストレッチ、30分ロングブレス体操をしている。療養の身としてはハードに鍛えるのではなくヨガ的にゆっくりと。毎朝の儀式のように!2020年1月1日、今朝も儀式を済ませました! No18 1月9日(木) ラジウム恩泉 お正月5日から7日まで山梨県北杜市増富ラジウム温泉に行った。自然界の微量な放射能ラジウムが身体に良いということは知っていたが、ある雑誌で増冨温泉「不老閣」知り出かけた。 国立駅から高尾駅で乗り換。ナント、高尾駅からは直通普通列車1時間45分で韮崎駅に到着。韮崎駅から増冨温泉郷までバスで1時間。途中30分は町中であるが、その後30分は遠くに山々が見えて、壮大な景色が広がる。ネパールのサチコール村に行く道中を思い出した。今、山は茶色で覆われているが、春になったら緑が美しいだろうと思った。 療養の温泉として「不老閣」は100年の歴史があり、天皇が皇太子時代は、こに泊まり100名山の一つに登ったそうだ。温泉は、30度のラジウム温泉と41度の普通湯を交互に入り、ラジウムは吸気が身体にいいらしくラジウムサウナもあり、食事は野菜中心で美味しかった。全体的に治癒客に心のこもった対応がなされリピーターが多いのも納得できた。 ラジウム温泉が身体にいいかどうかはまだ分からないが、やはり日本人は温泉ですね!温泉に入り、ゆっくり養生し、自己免疫力を高めよう! No19 1月13日(月・祝) 二人の女性 今日は午前2時に目が覚めてしまった。いつもの5時半の起床には早いので布団の中で米沢富美子さんの本『人生は楽しんだものが勝ちだ』を読んだ。先日NHKの「あの人に会いたい」を見て、名前は知っていたが「すごい人がいるものだ」と興味を持ち本を読み始め、この本で3冊目になる。 米沢富美子は、湯川秀樹門下の日本を代表する世界的な理論物理学者。3人の娘を育てながら多くの賞を受賞され、女性で初めての日本物理学会会長をはじめ多くの肩書を持つ。ちょうど一年前、2019年1月17日80歳で心不全で死去された。 こんなすごい天才・偉人が我が国にいたもんだ!と、三冊とも一挙に読めるほど面白かった。更に、読んでいてビックリしたのは、35歳の時、子宮前がん状態で子宮を摘出し、44歳、45歳で乳がんで乳房摘出し、70歳で甲状腺がんを手術している。癌というと今の私は更に反応する。その上、7時間もの大手術の翌日、病室にパソコンを持ち込み論文を書いていたという。また、60代後半からは、『老々介護』の本に詳しいが、大阪在住の要介護5の母親の介護をしている。超天才の恵まれた女性であるが、一般の人たちが経験している子育てや介護、介護費用の心配などを明るくこなしているその姿に魅せられた。 あんな天才・偉人の足元にも及ばないが、それでも、病気だからとグズグズしていてはいけない!と励まされる。以前、元国会議員の田中美智子さんの本を三冊読んだ。田中さんは、生前私もお会いしているが、80歳で大腸がんで余命半年と宣告され、『さよなら さよなら さよなら』『まだ生きてます』を出版され、昨年2019年2月11日96歳で心不全で死去された。.明るくて面白くて楽しい生き方に励まされた。 田中美智子さんは、国会議員引退後のがん手術、米沢富美子さんは現役バリバリでの4回にわたるがん手術と、置かれた環境は違うが、この二人の女性の明るく楽しい生き方が、今の私の道しるべである。 No20 1月17日(金) 歌う楽校再開! 昨年9月からすべての仕事を休んでいたが、1月15日、歌う楽校を再開。4ヵ月ぶり。楽生の皆さんは私がどんな姿で私が現れるか期待と心配して迎えて下さると思って、新調した〇万円もするニットのワンピースとアイルランドで買った赤いウールの帽子を被ってハデな恰好で出かけました。 11時からは「弾き語りギター部」。12時からは「歌う楽校」。まずいつものように健康体操から。今回からこの間私が毎朝しているロングブレス体操のポーズを2つ加える。健康体操の中には笑いヨガも。そのあと発声練習。合唱の一曲目は、2001年アフガンの子どもを救おうと緊急出版したCD「おなじ空おなじ子ども」の歌の練習。そして、中村哲さんに2002年2月3日、東京でそのCDの売り上げをお渡しした時の話。中村さんが話されたユニセフに関連した裏話なども披露。そのあともいっぱい歌って楽しかったねぇー。2時からは場所を変えていつものネパール料理店に移動し、交流会。私の復帰を祝って下さってか、ほとんどの方が参加して下さってとても嬉しかったです。 私は、4ヵ月間も人前に立ったことがなかったので、体力的にやや心配でしたが、結局、今までのように11時から3時まで4時間皆さんの前に立つことができました。その夜は、息が身体にいっぱい入るようで気持ちよく、やはり歌うことは体にいいと実感。「溌溂とした横井さんに会えて嬉しかった」とも言われ「音楽っていいなぁ。仲間っていいなぁ」とも思った喜びの一日でした。 <そういえば、、、> ①カルロス・ゴーンが逃亡して偉そうに日本の悪口を世界に触れまわっているので私は急に愛国主義者のようになって「日本をナメルナ!」と腹を立てている。安倍首相が「やってる感」を出すために莫大な税金を使って成果もなく世界中を回っていて、今回も中東に行った。私は「ついでにレバノンに行ってゴーンを連れてくればいいのに!」と怒っていたら、昨日の朝日の夕刊「素粒子」に『あのレバノンに行ってればなあ。中東から首相帰国』と、同意見あり。 No21 1月22日(水) 先生に褒められる 私の抗がん剤治療は、3クール予定で、1ヶ月半毎に4日間入院して点滴で注入する。すでに2回終わっている。その間に、二週間に一度外来で1時間の点滴が加わる。 先日、次回の入院の予定を決めるのに、病院に出かけた。採血と検尿をしてから先生と面談。検尿と採血でいろんなデータが出る。そのデータを見ながら先生が、「白血球や血小板などの値もいいですね。友寄さん強いですねぇ」と言われた。一瞬何が強いのか分からなかったが、、副作用などもデータで出るので副作用がなくていいですね、という意味なんだろうと思った。開腹手術をし、入院していた時も、4日目位にやっとオナカで息が吸えるようになったのでそう話すと、「友寄さん強いですねぇ」と言われた。その時も、お腹で息が吸えることと「強いですねぇ」が結びつかなかった。 私の担当医は、丸坊主で一見大学生みたいな、実際は40歳になったばかりの優しい先生で私は気に入っている。先生も、抗がん剤治療を私は最初、抵抗していたが、今は、次の入院はいつですか?早くしてください!と催促するので、私はよく言うことを聞くいい患者で先生にも気に入られていると勝手に思っている。 だた、この先生は誉め言葉は「強いですねぇ」しか知らいのかなぁと思ってしまうが、それでも、毎朝体操はしてるし、食事療法もしているので、やっぱり先生に褒められるのは嬉しいものですね。 <そういえば、、、> 20日から国会が始まり、安倍首相の演説が聞いていられない。この上っ面な空虚な言葉、気持ちが悪いよ。 No22 1月31日(金) 強烈な味覚の変化 一昨日は歌う楽校。3月18日に一年の締めくくりの「お楽しみ発表会」を企画していて、ダブルデュオと言って4人で合唱をする。その練習に私も楽生も楽しくもあり大変でもある。 さて、私は、副作用はほとんどないと思っていたが、このところ食べたいものの欲求が強烈になっている。副作用によって味覚が変わるせいだろうか。先日、強烈にラーメンが食べたくなり、ほとんど行ったことのない中華レストランチェーンのラーメンと餃子を食べた。帰宅して横になったら、スープのせいか口が乾き、強烈にコーラが飲みたくなって、また、起きてコンビニに買いに行った。夫に頼めば買いに行ってくれるが、なんだか後ろめたくもあり自分で行った。コンビニで見ているうちにサンドイッチが食べたくなり、続いて、、ドーナツ、アップルパイ、アンパンと4種類も買った。帰宅して食べたのはサンドイッチだけだったが、食べ物に対してこんな欲求は初めてで我ながらあきれている。 続いて、毎日のニンジンジュースが飲みたくなくなり、酵素玄米ご飯も食べたくない。柑橘類など今までは大好きだったけれど、食べられない。私としては、食事療法としてジュースや玄米菜食をしていたが、四つ足の動物(牛、豚)を食べないのは続いているが、強烈な嗜好変化のために計画が狂ってきている。抗がん剤治療が終われば、元に戻ると思って、今は、食べたいものを食べればいいやと食事療法信奉を放棄している。ただ、食欲はあり、それも、昼にはあれを食べよう、夜にはこれだ!と強烈に食べたいものがはっきりしているので、食欲がなくて食べられないというよりいいかと思っている。 <そういえば、、、> コロナウイルスのため武漢からのチャーター便に乗った人から、政府は一人8万円徴収するという。「桜を見る会」で、自分のためには勝手に予算を上回る税金を使っているのに!フザケルナ!と叫びたい。税金は国民を守るためにある! No23 2月6日(木) 使ってはいけない言葉 先日、ある新聞で料理家の栗原はるみさんの記事を読んだ。彼女は夫の栗原玲児さんが美味しいと言ってくれたことがきっけっでプロの料理人になった。その最愛の夫を亡くされ、哀しみでしばらく放心状態だったそうだ。そうした時、周りからかけられた言葉について語られていた。「大丈夫?」「お気の毒ね」と言われると「自分が大丈夫でないみたい」。「お気の毒」と言われると上から目線のように感じた等々。 私もこの栗原さんの語られたことがよく分かった。私も癌になってそういう言葉をかけられることがあり、私自身は、悲しくも落ち込んでもいないけれど、同じように感じた。私は、喜びや幸せや希望などのプラス要因は分かち合うことが出来ても、苦しみや哀しみ痛みなどのマイナス要因は分かち合うことは難しいと思っている。何故ならプラス要因は感性があれば共感できるけれど、マイナス要因は肉体が感じるものでなり替わることはできないからだ。 使ってはいけない言葉では、他に「可哀そう」「大変ね」「頑張って」も入るカナ?こうした言葉は、どんな状況の中でも、健康でも病気でも、若者でも老人でも、魂の上では対等平等という理念から外れ、上から目線になる時がある。人は人の痛みや苦しみに対しては、ただ寄り添い暖かく見守るしかないのではないだろうか? 栗原さんの素晴らしい点は、自身も今まで慰めのつもりでその言葉を使っていた友人に「ごめんなさい」と伝えたということだ。今まで強靭な肉体を誇って生きてきた私も謝らなくてはいけない人がたくさんいるはずだ。 私がかけられて嬉しい言葉は、以前、このブログで紹介したように「久美子さん病気なって張り切っているよ!バンザイ!」とお手紙をくれた人のように「元気そうで嬉しい!」と言ってもらうことです。ウソでもね!今日から4日間、最後の抗がん剤治療のため張り切って入院してきます。 No24 2月12日(水) 軟禁生活 クルーズ船の乗客たちは、今や国家によって軟禁生活を強いられている様相だね。私も4日間病院で「軟禁生活」だった。窓もあるし、廊下も歩けるし、今後の見通しもあったから雲泥の差だけれど、丸三日間72時間点滴の管を付けっぱなしだったから気持ちは分かる。病室では、本も読めるし、テレビも見られるけれど、早く点滴をはずして外へ出たい!と思っていた。4日間でもそうだから、先の見通しもなくクルーズ船に14日間というのは、発狂しかねない状況だ。そのうえ、高齢者や持病を持っている人が8割という。 この状況にいよいよテレビでの専門家たちも、今や検疫とか科学的とかではなく、人命救助という人道的な対応にシフトしなければならないと意見を変えはじめた。一番疑問なのは、たった3000余人の人たちの検査ができなくて、医療を行えなくて、国とはいったい何なんだろうか?テロ対策などといい、国家が国民を管理することは考えて法律を作ろうとし、予算を増やすことは考えても、国民の生命を守り救うという視点は全くないではないか。そこに予算を付けて迅速な対応をするという姿が全然見えない!今回の政府の新コロナウイルスの対応を見て、この国の政府は国民の命を本気で守ってくれない!と感じている。 No25 2月20日(水) 強欲な胃 私の治療生活もあと一回外来で点滴を受ければ、3クールの治療も、あまり副作用もなく、終わりになりホッとしている。 抗がん剤治療を始めた頃は、四つ足肉を食べない。ニンジン野菜ジュースを大量に飲む。玄米菜食を旨とし、大枚はたいてスロージューサー、酵素玄米炊飯器、ヨーグルトメーカーなどを買いそろえ、張り切って食事療法に邁進していた。 ところが、2クール目を過ぎたころから味覚が変わり始めたのか、まず、ジュースや玄米や柑橘類や生野菜を受け付けなくなった。その代わり、これが食べたい!これは食べたくない!という欲求が強くなり、かっては食べなかったラーメン、肉まんあんまん、あんドーナツをよく食べる、また、テレビの料理番組を見ていると、その料理がおいしそうで、口の中によだれが湧いてくる。かって口の中によだれが湧くことはなかった。これは食欲がある証拠なので良いことではあるが、食べたいもの、食べたくないものの要求がはっきりし、自分の胃の強欲さに驚いている。 例えば、料理番組でシーフードチャウダーやちらし寿司を作るのを見ていると、よだれが湧いてきて食べたくなり、すぐシーフードチャウダーやちらし寿司を作りたくなって食べる。また、朝、昼、晩の食事も、強欲な胃にお伺いをたてて、「今何が食べたいかなぁ?」と、よだれが出そうなその日の献立を考える。それがが楽しみでもある。朝食など、パンケーキやおもち入りぜんざいや長いものグラタンなど、今ま朝食に食べてもいなかったものを作っている。甘酒も豆乳ヨーグルトも手作りした。 もうこうなったら好きなものを食べて暮らすしかないナ。食事療法は抗がん剤の薬が抜けてから(たぶん3月中旬頃)することにしよう!四つ足肉だけは初心貫徹で食べていないが、いろいろ言われている副作用もないし、炭水化物や糖質をとっても量は食べていないので(味覚だけの問題で)体重もふえていないし、食欲がないよりは強欲な胃に振り回わされているほうが、身体にはいいかもしれない。 No26 2月26日(水) ウイルス戦争! 昨日25日、外来で点滴を受け最後の抗がん剤治療が終了した。バンザイ!ヤレヤレ。実は、21日、朝からスゴイくしゃみと鼻水。花粉症が現れたと思ったが、午後になって8度3分の熱が出て、翌日も7度台の熱。花粉症では熱は出たことがなかったので、コロナウイルスだったらどうしようと思った。高齢者で、抗がん剤治療をしている人は2日間熱が続いたら連絡しいなくてはならない。コロナウイルスは普通の風邪と違って5日ほど症状が続くのが特徴ということで、3日目に平熱になったので安心した。でもこの間、とっても心配した。 昨日、政府の基本方針が出た。テレビを見ていてガッカリだ。4日も5日もこんな状況になっても自宅待機しろ!軽症者は診ない。重傷者になるまで病院に行ってはいけない。一番腹が腹が立ったのは、政府が全面に出て責任を取ろうとしないことだ。官僚に責任を押し付けてきたように、今回も、自治体や教育委員会や会社や主催者が判断しろと、国民に丸投げしている! それに加え、ウイルス戦争に突入している危機感がないことの表れか、戦争には軍資金が必要なのに、対策費は予備費の2000億円のうちたった153億円。これでは、会社を休めと言っていても休業補償も出ない。今回韓国は大統領が率先していてその対応が素晴らしい。比較してみればいい。日本は防衛予算は5兆円。トランプから兵器を爆買いしているより、そのうちの1兆円でも使って国民の命を救い生活を保障することが第一ではないか?今日からの国会審議で野党が予算の組み換えを要求する。このところテレビを見る時間が多いので私はいっぱい腹が立っている。厚労省だけでは解決できない!安倍首相が国民を守れるのか?安倍首相の本気度を見守っていきたい! そういえば!昨日、安倍首相の突然の「全校休校」の発言に呆れた!「桜を見る会」をやめた!というのと同じ水準。言うだけ言って、それによって起こる対策は「走りながら考える」だって!結局、首相の「やってる感」を見せたいだけ!! No27 3月6日(金) 大きな顔されている! 2月25日に最後の3クール目の外来の抗がん剤治療を終え、これからはクスリが抜けるのを待つばかり。バンザイ!ヤレヤレと思ったが、どうも、今、私の身体はクスリに大きな顔をされているようだ。 昨年11月に治療を開始して以来、大きなカレンダーに副作用の様子を記している。1クール目は、世に言われる「抗がん剤に殺される!」などという副作用がどんな風に現われるか身構えていた。髪の毛が半分くらい抜けるという顕著な副作用と吐き気や貧血が少しあった。12月末の2クール目は、髪も抜けず、1クール目より副作用も少なくナーンダと思っていた。でも、2月初旬の3クール目以降は、どうも今までの薬が溜まってきて(あるいは効いてきて)いるのか、私の意志よりもクスリの方が大きな顔ををしている感じがする。 池江選手が「今ここにいるのが奇跡」というような苦しい副作用は、私は一切ないし、3クール目は髪も抜けないし、白血球もヘモグロビンも正常。でも、便秘と味覚障害がある。便秘に関しては一時間もオナカをさすったり、山芋を食べたり、冷たい炭水化物を食べたりと、どんなに努力してもダメ!処方された便秘薬も効かなくて、私の味覚は相変わらず超ワガママが治らない。朝の儀式のようなヨガ的ロングブレス体操も、気力がなく、10日間休んでいる。 結局、私の身体は、今までのクスリが溜まってきて、クスリに占拠されていて、自己管理ができない状態なのだ。治療を始めた頃は、「快眠、快食、快便」を目指し、食事療法や免疫力UPに邁進し達成感もあった。しかし、今は、「快眠」は、クリアしているけれど、あとは二つは手に負えない。だからこの際、抵抗するのをヤメることにした。あと、1週間ほどすればクスリが抜ける。それまでは、あなたの(クスリ)の好きにして!と。 そういえば!安倍首相、またやりましたね、入国制限。何をいま更水際対策。オリンピックと支持率低下におびえて、周りに相談もせず「積極果断な措置を講じる」と言葉の勇ましさに焦りが見え見え。 No28 3月12日(木) 快気祝い 予想通りやっとクスリが抜けてきたようで、便秘も味覚障害も治ってきた。久しぶりにお茶を飲んだら、美味しいお茶の味がした。 昨年10月に腎盂癌の手術で11日間入院し、その後、4日間の入院を3回、外来での点滴を4回して、4ヵ月にわたる抗がん剤治療を2月末で終えることができた。この間たくさんの方からお見舞いをいただき、とても励ましていただいた。 私は、最初から癌は完治しない病気と覚悟しているので、自分自身の一区切りとして、また、自分へのご褒美として「快気祝い」をしようと思った。お見舞いを下さった方々への報告も兼ねて。 今回の新コロナウイルス騒動でいろんなことが”自粛”されているけれど、少しでも楽しいことを考えて、うっとおしい気分を払拭して、気分を盛り上げなくちゃ! 1月から私の主宰する「歌う楽校」も再開し、春からコンサートも再開する。また、来年1月、3月のコンサートの依頼もあり、とても励みになっている。 新型コロナウイルスの収束は年を越すという意見もある。だったら”自粛”や”萎縮”をしないで、社会生活を取り戻しながら正しく恐れて、コロナと付き合っていく生活スタイルを見つけたいものですね。 私も、秋にはネパール・サチコール村へ行く目標を掲げ、今後は、更に、癌と共存しながら食事療法や免疫力UPをする生活を心がけ、新型コロナウイルスにも負けないように体を鍛えていくつもりです。この5カ月間、皆さまからの暖かいお心づかいに本当に励まされました。ありがとうございました。 そういえば!コロナ騒動の中で特措法が成立しそう!その中の非常事態宣言の危険性が、私も含めて十分国民に伝わっていないのが心配。こんな法律通しちゃいけないのに! No29 3月20日(金) 歌う楽校 お楽しみ発表会 3月18日(水)、歌う楽校の「お楽しみ発表会」をしました。本来、昨年の12月の予定でしたが、私の病気のため3月になりました。 ただ、世間は新型コロナウイルス騒動でいろんな催しが自粛、中止なっていて、私も開催していいものか迷いましたが、収束は年を越すと言われているウイルスには、自粛や萎縮をしないで、正しく恐れて日常の市民生活を取り戻さなければ!と思い決行しました。 この日は、来場したらすぐアルコール消毒をし、マスクもし、窓をあけて3台の換気扇を回して始めました。 歌う楽校では、合唱もしますが、ダブルデュオと言ってアルト2名ソプラノ2名の四人でアカペラ(無伴奏)で歌う練習をしています。これは伴奏がないので結構難しいのですが、歌う楽校も10年を過ぎ、今回は皆さん見事に美しいハーモニーを聞かせてくれました。 皆さんの課題曲、自由曲も、創造的で素晴らしかったのですが、何といっても凄かったのは、後期高齢者が見せてくれたサプライズパーフォーマンスです。私たちは、自分より年配の方たちの元気な姿をみるととても励まされるのですが、まさに、今回、そんな場面を後期高齢者の方たちが示してくれました。その内容は、下段のレポート欄をご覧ください。 やっぱり皆さんと会って、歌って、話してという人と人との交流は何にもましてスゴイ力をもっているものだと改めて感じた「お楽しみ発表会」でした。併せて、私の勝手な自画自賛の「快気祝い」もしていただき、幸せいっぱいでした。ありがとうございました。 そういえば!ほとんどの人がオリンピック開催は無理と思っているのに、「完全な形」で決行しようとしている人は何のため?お金のため?まさか、安倍首相の「花道」つくりではないでしょうね! No30 3月26日(木) やや想定外 抗がん剤投与の1クール、2クールを終えた経験から副作用はマアマアこんなもんかと想定しjていたのですが、3クール後はやや想定外だった。 例えば、以前も副作用として額に発疹ができたけれど、数日で消えた。今回は、頬に同じような発疹ができたけれど、「あぁ、あれか」と思っていたらダンダン大きくなり、「えっ、このまま頬に跡が残ったら、人前に出られないよ!」と気が気でなかった。また、多少の息切れも想定内だったけれど、どうも、前回よりひどいなぁ。理由は3クール後は①今までの薬が溜まってきている②味覚障害のために食事療法ができなかった(食事療法は副作用を軽減する)。 抗がん剤終了を一区切りとして「快気祝い」をして、勝手に盛り上がっていたけれど、すぐ突っ走ってしまう自分のせっかちさを思い知らされた。毎朝、ストレッチとヨガ的ロングブレス体操を40分間していたのも10日間できなかった。それに私は腎臓が一つしかないのを再認識。そうだよなぁ、腎臓も相棒がいなくて一つで働いているのだからアンタも疲れるよねぇ。 ただし、現在、頬の発疹はダンダン消えてきて、ワシントンの娘にフェイスタイムで顔を映して「ホラ見て」と、訴えても「何にもできてないじゃない」と言われる。ともかく、「快気祝い」など、自分で盛り上がって、「ヨカッタね。おめでとう」と皆さんに言われて、いい気になっていたけれど、想定通りにはいかないものだ。とはいえ、頬の発疹もなくなったし、髪も抜けていないし、体操も昨日から再開できているので、まったく想定外ではなく、やや想定外ということかな? そういえば!今回のオリンピック延期でオリンピックがいかにお金まみれか分かった。「アスリートファースト」は、口実・建前で本音は、IOCも安倍首相も小池都知事もその他オリンピックの団体も自分の利益・利権ファーストが見え見え。 下段の「皆さんからのMessage」にネパールのラクパさんからのメールをUPしています。OKバジさん同様、素晴らしい活動をされている方ですのでご覧になって下さい。 No314月1日(水) モグラが首を引っ込めた! 一昨日1月30日、病院へ行った。4ヵ月にわたる抗がん剤でどうなったかCTを撮ってから先生に結果を聞いた。昨年10月の手術で取り切れなかった箇所があって、そのために抗がん剤治療を開始したのだけれど、それが消えていると言われた。 私は、3クール目あとは体調がよくなかったし、切ったところが痛むし、クスリは効いていないのではないかと覚悟していたので、先生の話を聞いてビックリ!「でもお腹がチリチリ痛い時があるのですが?本当によくなっているのですか?」「手術後には傷跡がそういうこともありますよ」。 苦労して受けた抗がん剤治療は効果があったのだ!ヨカッタ!でも、癌は完治しない病なので、「治ったではなく、今は、消えているだけ」と心している。モグラが叩かれて首を引っ込めているだけで、また、気を許したら顔を出してくるだろう。 今日は4月1日、世の中コロナウイルスで入学式もできないようだけれど、とりあえず癌が消えたので私には新学期だ!今日から計画をたて、しばらく放棄していた食事療法や免疫力を高める生活を再度ビシバシとするつもり。また、コロナ自粛で、身動きできないピンチをチャンスに変えて、もういちど日々の暮らし方を考えてみる機会にしたい。私にとっては、新しいスタートラインに立てて気持ちがいい! 「歌う楽校」も4月はお休みにした。自粛や萎縮をしたくないと思っていたが、日々のコロナ情報に、楽校も高齢者が多いので、皆さんに来てもらうのが大丈夫かなと心配で一喜一憂してしまう。それがストレスにもなるので休校を決定したが、その後の感染者の数をみると決定してヨカッタ! そういえば!出た出た!安倍首相の珍答弁!「募集ではなく募っている」に続いて「花見は公園ではなくレストラン」。どっちでも数人での花見は花見なのに!もう一つ、業界団体バックの自民党から出ているお肉券やお魚券などのお買物券案。私たち国民は、そんなもの貰っても不便。そんなにしたければ、お買物券は、国会議員の歳費と交換してあなたたちがが使って下さい! 下段の「皆さんからのMessage」にネパールのラクパさんからのメールをUPしています。OKバジさん同様、素晴らしい活動をされている方ですのでご覧になって下さい。 No32 4月8日(水) 「下からの総動員体制」 イヨイヨというかヤットというか、昨日、「緊急事態宣言」が出された。蔓延する前に早く出した方がいいのではないか、何をグズグズしている?経済より命の方が大事ではないか?と私も思ったし、多くの人が思ったと思う。しかし、相変わらず要請お願いである。権力を行使されるよりはいいとは思うが、今朝の朝日新聞の「多事奏論」で、こうした人々の思いが『下からの総動員体制』にならないか?と危惧していた。 『政治が自粛要請ペースで対策を進めていくのは、政治責任も、経済損失を補償するコストもかからない一番楽な方法だからだ。これは責任を国民に押しつけ、結果的に「下からの総動員体制」というべき相互監視システムを作り上げてしまう。立憲国家としてあるまじき姿だ」 そうかもしれないなぁ。私もその一端を担っているのかもしれない。危ない危ない。「人類と感染症との戦いは、国家による公衆衛生と個人の人権のせめぎあいの歴史でもある」と言われるが、つい人権より公衆衛生を先に考えてしまう。でもこのコロナウイルス防止のために憲法で保障されている学ぶ権利や、営業や表現や移動の自由が奪われているのも事実だ。これらとどう折り合いをつけていくのか難しい。 ただ言えることは、要請にしろ特措法という法律のもとで行われることに対しては、補償とセットにしてほしい。そんなにお金がないと言うなら莫大な防衛費をコロナ対策にまわしてほ欲しい!核兵器やミサイルや軍事兵器をどれだけ持っていてもコロナウイルスには勝てないよ! そういえば!コロナ経済対策は、「愚策」という意見がメディアでいっぱい。30万円なんて対象者の20パーセントしか貰えないし、手続きも大変。安倍政権の困っている人への真剣度は「マスク2枚」程度の発想力ですね!以前、クリスマスにランドセルを配った「タイガーマスク」のつもりかもしれない。「アベノミスク」をもじって「アベノマスク」も「アベノリスク」いいね! No33 4月14日(火) 私の身近でも! コロナウイルスによって各所で多くの問題や被害が起きていますが、私の身近でも起きはじめました。5月に予定していた藤沢市のコンサートが会館が閉館で休止。6月の福山市でのコンサートも。そして、一昨日、かわさきおやこ劇場から手紙が届きました。 創造団体・音楽家のみな様へ、 かわさきおやこ劇場閉局のため、2020年度例会企画として決定していたすべての例会(2021年5月まで)と2021年度の企画作品紹介パンフの発行をを取りやめることをお伝えし、ご理解いただけるよう、お願い申し上げます。 1996年、私は新しい観客層と出会いました。それがかわさきおやこ劇場でした。かわさきおやこ劇場は、「優れた生の舞台芸術によって子どもたちに生きる力を!」と、文化と深く結びついた地域ぐるみの子育て運動でした。それまで、大人の前でしか歌ったことがなかった私は、3歳からの会員を前に歌う初めての体験をし、子どもたちの感受性の素晴らしさに学ばされました。そして、おやこ劇場というのは「ナント上質な人間たちの集まりだろう!」と、子どもたちのために活動する劇場のお母さん達にも感動しました。 それ以来、24年間、なんども素晴らしいコンサートをしていただき、私の50周年コンサートも、かさわきおやこ劇場からものすごくたくさんの方が参加してくれました。小学生の頃歌を聞いてくれた子ども達が、青年になり、母親や父親になっても、「横井さんの歌で育ちました」と、私の歌を愛してくれました。今思えば、私自身もおやこ劇場によって育てられたのです。 1971年に創立したかわさきおやこ劇場は、半世紀に及び、母と青年が力を合わせて「生の舞台芸術」を生活の真ん中において、地域をつくり変え、子どもたちの人間性を高める仕事をしてきた歴史に、断腸の思いでピリョウドを打ちます。 本当に断腸の思い、残念、無念だと思います。でも、こうした決定を「意義」に縛られ、しがみつくのではなく、「会員から感染者を出さない!」と、みんなで民主的に判断されたことがやはり、かわさきおやこ劇場は、素晴らしい団体だと思いました。 というわけで、春だけでなく来年1月に予定されていた川崎のコンサートも無くなりました。今朝のニュースでドイツ在住の日本人音楽家がコロナのためにキャンセルされた補償をネットで申請したら二日後に3か月分日本円で60万円が振り込まれたそうです。さてさて、日本とは比べられないですね! そういえば!アベノマスクに続いて「うちで踊ろう」の動画に批判殺到!休業要請でお店を閉めなくてはならない人たちがいる時、パンデミックを目の前にしている時、こんな優雅すぎる動画をUPするなんて!こんなことしか助言できない内閣官房の取り巻きしかいない安倍首相はもはや「裸の王様」!いや、ずっと以前からか。 No34 4月23日(木) 水曜テレトーク 私の主宰する「歌う楽校」も4月から休校しています。コロナは、命を脅かすと同時に人類史上、私たちが長い年月をかけて、勝ち取ってきた数ある自由(集会の自由、移動の自由、学習の自由、営業の自由、表現の自由など)をことごとく奪っています。コロナの収束は先が見えません。せめて、歌う楽校だけでも「つながる自由」を作りたいと思ってテレワークならぬテレトークを楽校の皆さんに呼びかけをしました。 水曜日の午後2時から3時までの一時間、30人の楽校のメンバーで「お元気ですか?」と電話をしあいましょう。皆さんと創ってきた「歌う楽校」の人間力溢れるつながりを大切にし、再会した時は、この「水曜テレトーク」のおかげで、更にお互いのつながりが更に深くなっていることを願っています。 昨夜のNHKの「試してガッテン」でも報道されましたが、コロナによって人と繋がらないので孤立し、孤独になる人が増えているそうです。ハグとか身体をさする「タッチケア」は、孤立・孤独をなくすいい方法ですが、今の状況ではできません。でも、「好きな人の声を聴く」だけでも幸せホルモンであるオキシドミンが出るそうです。 また、別のフォーカスですが、電話での振り込め詐欺になぜこうも簡単に騙されるのかというと、振り込め詐欺の同じ言葉を、電話で聞く場合とスピーカーで聞く場合、スピーカーから聞いた言葉では殆ど騙されないそうです。つまり、電話による耳元からの会話はとても親しみやすく説得力があるということでした。 テレワークなどで、テレビ電話も流行っています。私も毎週ワシントンの娘一家とテレビ電話をしていてとても楽しみにしています。でも、家族だからどんな格好していてもどんなふうに見えてもいいですが、他の方とするのは身なりから気になりますよね。 というわけで、歌う楽校の「水曜テレトーク」、どんな風になっていくでしょうか?楽しみです。電話によって幸せホルモン(オキシドミン)をいっぱいだし、人とつながって幸せな気分でこの閉塞感あふれる日常を乗り切りたいです。 また、このHPをご覧下さる方で横井に電話をしてみたいと思われる方は、水曜の午後1時半時から2時にお電話下さい。お待ちしています。 そういえば!テレビ番組もテレワークが盛んで自宅からコメンテーターが参加していますが、スタジオでの顔より自宅からの顔の方が不細工に見えますね。たぶんこれは、スタジオでは照明も多く、また、カメラのアングルのせいでしょう!こんなことがあるのでテレビ電話は家族jだけです! No35 5月3日(木) 電話をするエネルギー 歌う楽校の「水曜テレトーク」をはじめてから一週間。電話をもらうのはいいけれど、自分からかけるのはとためらう人もいる。私自身もそれに近いし、身近に電話に限らず人と話すのは絶対イヤ!という夫がいるのでそういう人の気持ちはよく分かる。 電話をかけるというのは、凄いエネルギーが必要だ。それでも、歌う楽校の30人のメンバーで一番のエネルギーを持っている方は86歳の最高齢者の方。それも3ヵ月間も入院生活をされて『まだお風呂にも入れないし、足腰はボロボロよと』言われる方だ。『今日は4人の人と話せて楽しかった!こういう企画をしてくれて本当に嬉しい』と言って下さる。 そして、概ね、そういうエネルギーを持ち行動力があるのは、高齢者が多い!何故だろうと考えてしまう。それは、いわゆる後期高齢者世代になると、他人からどう思われるかなどのいろんな「縛り」が取れて「天真爛漫」になるからではないだろうか? そう思ったのは、ここ数日続けて高齢者の女性の友人と話す機会があって、二人とも「えっこの人こんな人だったの?」と思うほど、明るく抜けて元気な様子だったからだ。それぞれ病気を持っていたり、身内で大変な状況を抱えているのに!である。 そして、私も病気があるけれど、たぶんそんな風になっている気がする。年を重ねるのは悪くないな、と思う五月のステーホームを満喫しているこの頃です。 また、このHPをご覧下さる方で横井に電話をしてみたいと思われる方は、水曜の午後1時半時から2時にお電話下さい。お待ちしています。 そういえば!今日は憲法記念日。安倍首相がやっぱり「緊急事態条項」を持ち出した。コロナの失政を顧みず、自粛がうまくいっていないのは、憲法に問題があるかのように。えッ、憲法変えれば、PCR検査ができるんですか?マスクが手に入るのですか?医療現場に防護服など届くんですか?自宅待機で死なずに済むんですか?憲法に緊急事態条項をいれなくてもできることはいっぱいあるでしょ! No36 5月12日(火) はじめてのWEB署名 私も今日、WEB署名を初めてしました。 「#検察庁法改正法案に抗議します」とともに「黒川弘務東京高検検事長の定年延長を認めた閣議決定を撤回し、黒川弘務検事長の即時辞職を求めます。」 テレビや新聞で見ていましたが、安倍政権が、1月31日に、閣議決定で、現黒川東京高検検事長(63歳)の定年延長を、本来2月8日定年のところ8月7日まで延長しました。 署名の要請にあるように 本当にその通りです。コロナのどさくさに紛れてこんな法律を強行しようとするとは!私は、安倍首相の記者会見を見ていて「安倍首相からプロンプター(画面原稿)を取り上げよう!」キャンペーンをしたいと思っていました。プロンプターを見ながら話しているので国民への支援金開始の8日を8月と読み間違えたり、大層なことを言っていてもチットモ心に響かない!自分の言葉で喋っている他国のトップや日本の知事と比べて、ナント見劣りすることか! Web署名は、https://www.change.org/ja 紙署名は、http://kaikenno.com/?p=1391 をごらん下さい。 4ヵ月にわたって抗がん剤治療をした結果が出たので病院へ行った。先生は、「抗がん剤が効かなかった。肝臓に転移しています」と残念そうに言われた。それで、免疫療法を勧められた。ただ、この免疫チェックポイント阻害薬キイトルーダは、今の病院ではできないので、立川病院へ紹介状を書くと言われた。 私は、例え治っていなくても、これ以上化学療法を受けるつもりはなかったので 「立川病院に行ってどんな治療法かその先生のお話を一応聞くけれど、聞くだけで受けなくてもいいですね」と、断ること前提で話していた。そしたら、先生は「その場合は最後まで僕がここで面倒みますよ」と力強く言ってくれた。それで調子にのって「先生!私は今は、ちょっとダルイ位だけなんですが、最終的に癌というのはどういう症状になって死んでいくんですか?死ぬ時ってどんなんですか?」と突っ込んだ。「痛みがきて、でも痛みはモルヒネなど使って抑えて、自宅まで医者が行ける緩和ケアシステムもありますから紹介しますよ」と、なんだかご臨終まで聞いてしまった! 翌週、息子がまたついてくると言ったが断って、夫と二人で立川病院へ行った。聞くとこの免疫療法は、3週間に一度外来で30分の点滴を4ヵ月~6か月ほどするのだそうだ。毎回血液検査をして様子を見ながら途中で辞めてもいいと言われた。この免疫阻害薬は、説明することは難しいが、オプシーボと並ぶ、それよりよく使われている薬だそうで、抗がん剤より劇薬でなく、ただし、効く人は3割ということだった。 話を聞いていて、感じのいい先生だし(相性ってあるからね)入院しなくてもいいし、3週間に一度だし、立川病院はドアtoドアでバスで15分位の超便利なところにあるし、この薬は昨年12月に保険が適用されたばかりの薬だし、と思って、初志貫徹を急変させて、その場で早速治療を受けること決めた。 私は、自画自賛型の人間だからいつも「私はなんて運のいい女だ!」と思って生きている。最近では、50周年コンサート。今年だったらコンサートは出来ないし、今頃数百万の赤字を抱えて四苦八苦している。この免疫阻害薬もオプシーボ同様に数年前から使われているが、昨年12月に保険適用になり、まして私は75歳だから一割負担だ。なんて運のいい女と言わざるを得ない。この話は続きがありますので次回ね! そういえば! そういえば! No39 6月1日(月) 島袋美恵子さんを悼む
島袋さんには、同じ年の11月「おいで一緒にinくにたち」に出演していただき、「沖縄の心をうたう」として、ウチナー口で『さとうきび畑』などを歌って下さった。また、昨年7月の「横井久美子50周年記念コンサート」にも沖縄から来てくださって「おいで一緒に」の出演者として舞台に皆さんと一緒に立ち歌ってくれたのです。 星さんは、1950年 福島県きたかた市出身。日本大学工学部在学中フォークグループ「Yes Men」を結成、し、ヤマハライトミュージックコンテスト福島県大会で第一位になり、後藤悦治郎氏の「紙ふうせん」のギターリストとしてツアーに参加しながら、曲創りアレンジを学びました。その後シンガーソングライターの黒坂正文、横井久美子のサポートミュジッシャンとして活動しながら劇団「希望舞台」、「手織座」、人形劇団「ポポロ」、「コパ」などの音楽を担当しました。さいたま県民公募によるミュージカル「I Love 憲法」Vol.1~6まで作曲を担当していました。 No47 8月10日(月祝) 本の出版の動き
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来年、春、出版予定の本の私の幼年期、青春時代を書き終えた!あとは編集の方にお任せして今までの記事などをあつめてでつくってもらう。おやこ劇場の方の要望でこの本が実現した。どんな本になるか楽しみに待っている。 |