Kumiko Report 12/31/2002
愛することは戦うこと

昨日30日は、12月27日に「奇跡的回復」もままならず68歳で亡くなられた松井やよりさんの告別式。彼女が生まれ育った、東京山手教会で行われた告別式には、1000人近い人たちがお別れのために集まった。WAWW-NET JAPAN(戦争と暴力・日本委員会)の会員100人あまりが実行委員としてお手伝いをし、私も会場係で参加した。

松井さんは、2000年「国際女性戦犯法廷」を成功させた後も、世界各地を飛び歩き、10月4日にアフガニスタンで倒れた。スゴイ磁力を持って、「小さきもの」への愛のために戦い、壮絶に生きた国際的な行動するジャーナリストだった。私もニューヨークの「2000年世界女性会議」でその磁力に触れ、惹きつけられた一人。彼女を尊敬するあまり、「新宿女塾」のゲスト、出版パーティの呼びかけ人などをお願いした。もちろん「国際女性戦犯法廷」に参加し、昨年の12月は、オランダのハーグでご一緒たっだ。(11月1日「私の大切な人」参照)

松井さんは、私が師と仰ぐ櫛田ふきさんと同じくらい大きなものを私に残してくれた人。「人間は、どのように生きるべきか」ということを。でも櫛田さんに比べ、私が松井さんと直接話した回数は、4、5回ほどしかない。私が、櫛田さんから学んだことを「愛と感謝」とすれば、松井さんから学んだものは「怒りと戦い」。しかし、告別式でも言われていたように「愛」と「戦い」は同じもの。愛するものへの痛みが怒りになり戦う。愛することは戦うこと。

教会のオルガンで歌われたいくつかの歌が心に沁みた。特に、賛美歌493番「いつくしみ深い」は、松井さんの戦い抜いた人生に、やっと神様が休んでいいんだよといっているようで涙があふれた。

松井さんは、病に倒れてから「女性たちの戦争と平和資料館」建設を夢に描き(朝日新聞12/28朝刊参照)、後に続く人にその「夢」を託して逝った。山手教会を戦後の焼け跡からお父さんである平山照次牧師が建てられたように、松井さんも「夢はかならず実現する」と信じて。

こうして、松井さんは、何も戦争責任をとらない日本政府に対し、自分の死をも運動化し、後の人たちに「負けないで立ち上がりなさい。私を祭り上げないで戦いなさい。」とメッセージを残し、死んだあとも生き続けている。最後に出棺前、どうしても顔が見たくて、私は、親族や親しい方たちに囲まれている棺に近寄った。松井さんの、奇麗な小さな顔にさされた赤い口紅が美しかった。

短かったけれど自分の人生のある時期に松井やよりという偉大な女性と出会えたことを、幸せに思う。何人かの方が、弔辞とは言わない。お別れとは言わない。思い出と決意を述べるといわれた。私もそう思う。
2002年という「戦争に向かおう」としている年の最後を、愛のために、「小さきもの」のために命をかけて戦った松井さんのレポートで終わることを誇りに思う。

今年一年ありがとうございました。

横井久美子
2002年12月31日

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