Kumiko Report 5/15/2004 |
世界中の愛をあつめて 5月13日、14日、横須賀市文化会館で行われた2日にわたる横須賀おやこ劇場のコンサートが終わりました。1000名余の広い会場には、子ども、青年、大人とおやこ劇場特有の幅広い年齢層の方々でいっぱい。年齢のバリアフリーです。 全国ツアーと同じ出演者とスタッフでつくるステージは、岐阜、京都公演に続き、とても充実感がありました。私達のステージの充実感は、客席にも伝わったようで、早速、ホームページの「ひとこと欄」に、青年から、お母さんから、中学の先生から、嬉しい投稿がありました。 記念コンサートと違う点は、最後のアンコールで、子ども達が会場から駆け上がり、一緒に彼ら自身が振り付けをした「世界中の愛をあつめて」を歌って終わったことです。6年前、おやこ劇場の子ども達と出会って創ったこの歌を、彼らは、「劇場の歌」として、普段の集まりの中でも歌ってくれているそうで、舞台で一緒に歌っていて本当に嬉しかったです。 もう一つ私にとって、とても胸の痛む、そして私自身の仕事の意味を深く考えさせられる出来事がありました。 コンサートが終わって、列になって並んでくださった方々から「良かった」「感動しました」「元気になりました」と言われながらサインセールをしていました。すると、次に目の前に立った高校生位の若い女性が、勢い込んで「つい最近、劇場に入会したばかりですが、初めて横井さんの歌を聴き感動しました。私、とても元気になりました。このブラウスに大きくサインしてください」と言って、自分の着ているチェックのブラウスを指しました。私は、「ありがとう、でもお洋服にしていいの」といいながら、ふと、その子の腕を見ると、いっぱい切り傷がありました。手首にも。私は急に胸がつまり、その子を抱きしめました。そして、「みんながあなたのこと見守って愛しているからね」とささやきました。私は、ただそれだけいうのが、精いっぱいでした。 こうした行為は、「私はここにいるよ」「私をちゃんと見て」という周りに対するシグナルです。4月に行こなわれた横須賀おやこ劇場の「子育て交流会」のレポートにも書きましたが、子どもから大人になっていく時期に、家庭や、学校や、地域社会で、私達はいろんなことを学びながら「個の確立」をしていきます。人間が「人間」となるには、「個を溶解」しない学びの場が必要なのです。現代は、その学びの場が消滅し、「自己の存在」「自己の生命」を肯定できなくて、「私は価値ある人間である」「私の命はとても尊い」という自己肯定感をもてない時代に突入し、悲痛な悲鳴がいっぱい聞こえてくる時代の中にいるのです。私は、改めてそうした悲鳴を目の前にして衝撃を受けました。 そして、私は、「感動した」という言葉をかけて私の前に立ってくれた高校生によって、しみじみ「歌っていて良かった。歌手の仕事をしていて良かった」と思ったのです。私は、いつも言っていますが、誰かのために、何かのために歌っているのではなく、私の感じたこと、嬉しいこと、悲しいこと、怒っていること、を音楽をとおして伝えているにすぎません。その私の歌の受け止め方は、人によっていろいろあるでしょう。それは、夫々の人の置かれた場所が違うからです。でも、そうした私の「想い」が、「時代に引き裂かれ」、悲鳴をあげ、シグナルを発している若い人に、こんな風に受け止めてもらえたことに、私は、歌手として言いようのない感動を覚えました。翌日の「少年」を歌う時、私は、この高校生をのことを思い胸がいっぱいでした。 でも、こうした「感動」は、劇場運動の理念である「優れた舞台芸術こそが生きる力になる」と、おやこ劇場の方々が日夜奮闘されていることと、「横井久美子」を支えるバックの音楽家、音響照明スタッフなどが、がっちり手を結び、「優れた舞台」ができた結果だと思います。一人ぼっちのお母さんや青年をなくそうと、皆で仲間を増やしているのです。コンサート終了後、ロビーで青年が嬉しいそうに寄ってきます。「横井さん、この例会におなじ職場の人誘って、会員になってもらったの。握手!握手!」 私は、おやこ劇場と出会って、人間らしい「生きる力」を求めている会員(観客)の前で、「優れた舞台芸術」を表現する場を与えて下さった皆さんに心から感謝しています。そして、私は、今年歌手生活35周年を迎え、「優れた舞台芸術」を目指し、気合を入れて全国ツアーをしています。だからこそ、劇場の皆さんとも、これからもとっともっといい仕事ができそうな予感がしています。ありがとう! 横井久美子 2004年5月15日 |
KumikoReport Index HOME |