Kumiko Report 6/4/2004
事後交流会

5月30日、横須賀おやこ劇場の方たちと5月13日、14日のコンサート後の事後交流会をしました。5月15日のレポートで、サインセールの時のある少女の模様を紹介しましたが、たったその時の4、5分でその少女との関係を終わらせたくないと思い、交流会を提案しました。また、私自身もたくさんの人の感想を直接聞き、感動を共有したいと思ったからです。私は、できればあの少女も誘って欲しいと頼みました。

横須賀駅の近くのホールには、「横井さんにもう一度会える!」と、中学生、高校生、青年、母親など、たくさんの人が私の予想以上に集まってくれました。私を囲んで円形にすわり、彼女Aさんもお母さんと参加していました。みんなで「世界中の愛をあつめて」を歌って私を迎えてくれました。

私は、まず、ホットニュースとして、友人のジャーナリスト橋田信介さんがイラクで死んだこと。橋田さんと同じように、私も現場に行き、その現場の人々の声を、歌を通して伝えたいと思って35年間歌い、生きてきたことを話しました。

続いて、何人かの方が、コンサートの感想を言ってくれました。数人が語ったあと、Aさんが手を上げました。私は自分から話そうとするAさんの姿を見て、急に涙が溢れました。勇気をだして話そうとするその姿に、、、。ポツリポツリと彼女が話しました。「おやこ劇場には入ったばかりだけど、、、、、横井さんの歌を聴いて、、、、、、私の中のなにかが変わりました、、、、、、うまく言えないけど、、、あれから一度もしてません」

会場の人たちは、事態を知らない人がほとんどで、いったいなんのことかと彼女に集中しました。たくさんの人が注目するなかで、彼女は、ポツリ、ポツリと続けました。「こういうふうに、、、、、みんなの前で、、、話したことはないけれど、、、あのサインセールの時、、、、、私の腕を見て、、、、横井さんが抱きしめてくれて、、、、小さい頃からずっといじめにあって、、、、友達もいなくて、、、でもこのまま自分をきずつけていたら、、、、、ダメになると思っていました、、、かわりたいと思っていました」

これほどの勇気がどこから出てくるのでしょう。多くの見知らぬ人の中で、はじめて自分自身をさらけ出し、そのことによって自分自身を変えようとしているけなげな若い魂。
しばらくの間は、私と彼女の語り合いになりました。私は、年齢もキャリアもすべて超えて、ただ、私の魂と彼女の魂が向かい合っているような気がしていました。

彼女の発言をうけ、その後も、次から次へと、中学生が、高校生が、大学生が、お母さんが、愛について、人間の尊厳について、劇場運動について、素晴らしい発言がありました。「歌って愛して夢を見ながらたたかいたい」は私たち劇場のことだと、皆が「歌って愛して」を歌ってくれて交流会は終了しました。その後は、Aさんも参加して青年だけの夕食会をしました。横須賀から国立までの帰り道、たくさんの感動と共に、子ども達の悲鳴がずっと聞こえていました。

昨日からの佐世保の六年生の少女の事件を併せて思うとき、追い詰められた子ども達の悲鳴が日本中に響いています。でも、人間を貶め、傷つけるのも人間なら、人間を癒し、高めるのも人間です。人間の持つ、善なるもの、考えること、思いやり、笑顔、声、ぬくもり、肌ざわり等など、、、。まずは、人と人とが顔をあわせ、話し合うことからはじまります。
やはり、FACE TO FACEです。

こころの痛むニュースが続きますが、横須賀のおやこ劇場の皆さんと出会って、私は更に歌を通していい仕事ができるような励ましをもらい、とても元気です。
明日は、福岡、佐賀へ出かけます。皆さんも元気で!大切な人とは、顔を合わせながら、ゆっくり語り合う時間を増やしましょう。

横井久美子
2004年6月4日

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